小倉神社
【おぐらじんじゃ】


鎮座地: 京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83

包括: 神社本庁

御祭神:
建甕槌命【たけみかづちのみこと】
斎主命【いわいぬしのみこと】
天児屋根命【あめのこやねのみこと】
比売大神【ひめおおかみ】

創建: 養老二年(AD718)

延喜式神名帳: 山城国乙訓郡 小倉神社 大 月次新嘗

社格等: 旧郷社


◆小倉神社 社号標
小倉神社 社号標

 山城国乙訓郡式内社十九座のひとつ。
 奈良時代初頭の創祀と伝わる。平安遷都以後は御所の裏鬼門除けとして祈願されて大いに信仰を集め、嘉祥三年(850)には正一位の神階を賜った。鳥居に掲げられた「正一位小倉大明神」の扁額は小野道風の筆になるという。

◆小倉神社 一の鳥居
小倉神社 一の鳥居

 この地は天正十年(1582)、羽柴秀吉軍と明智光秀軍が繰り広げた山崎の戦いの舞台。社頭に掲げられた由緒によると、秀吉は合戦に際し家臣片桐祐作・脇坂陣内(片桐助作且元・脇坂甚内安治か)を当社に遣わして戦勝を祈願したとのこと。

◆小倉神社 本殿
小倉神社 本殿

 神社裏の竹林に鳥居前古墳という四世紀末から五世紀初頭頃に築かれた帆立貝形古墳があり、元はその被葬者を祖神として祀ったものとも考えられる。
 ともあれ現在の祭神は春日四神となっている。
 ただし、『神社覈録』は「社記」を引いたと註釈した上で闇龗神【くらおかみのかみ】を祭神とする。闇龗は水や雨を司る神であり、しばしば龍の姿で表される。この「社記」がどのようなものなのか、現在も残っているのかは不明だが、闇龗につながり得るものとして、豊玉比売神を祀る龍王神社が境内に鎮座する。社名や現祭神から見て神仏分離前は善女龍王を祀っていたものと推察されるが、善女龍王は豊玉姫の他に高龗や闇龗とも同一視される。

◆小倉神社末社 龍王神社
小倉神社末社 龍王神社

 龍王神社は江戸末期に小倉神社内に遷されるまでは南西数百メートルの山中、龍神池のほとりにあった。龍神池は久保川の水源近くにあり、水神としての龍を祀っていたことが想像される。事実、龍王神社では昭和のはじめ頃まで雨乞いの祭が行われていたといい、天明の大飢饉の時にも雨乞いにより村は救われたと伝承されている。

◆小倉神社 御朱印
小倉神社 御朱印



参考文献:
◇鈴鹿連胤(撰)『神社覈録 上編』 皇典講究所 1902
◇京都新聞社(編)『京都 乙訓・山城の伝説』 京都新聞社 1977


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第1章 神宮式年遷宮 神宮式年遷宮とは何か/遷宮のなりたちと祭り/遷宮までの道のり/ 御装束神宝と匠
第2章 それぞれの遷宮 出雲大社平成の大遷宮/賀茂社の式年遷宮/石清水八幡宮平成の正遷座/熱田神宮創祀一九〇〇年記念造営

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