◆念佛寺 山門
念佛寺 山門

河内西国巡礼 第二番
龍興山金剛乘院念佛寺(久宝寺観音院)
【りゅうこうざんこんごうじょういんねんぶつじ】(【きゅうほうじかんのんいん】)


所在地: 大阪府八尾市久宝寺三丁目表町4-25

宗派: 融通念佛宗

御本尊:
阿弥陀如来
十一面観世音菩薩[札所御本尊]

創建: 暦応四年(AD1341)

開山: 盤龍上人

別称/旧称: 勝雲院

御詠歌: めぐりくるひつじのあゆみひまのこまのりぞ久しき宝ならまし

法語: 諸悪莫作 諸善奉行


◆念佛寺 本堂
念佛寺 本堂

 かつてこの付近には聖徳太子によって建てられたという七堂伽藍の大寺、久宝寺があったとされ、地名の由来となっている。
 その久宝寺の本尊だった太子自刻の十一面観音は、久宝寺無きあと、伊賀や近江など各地を流転することとなる。長い年月が過ぎて再びこの久宝寺村に戻り、許麻神社の境内に小堂を建てて安置した。これが久宝寺観音院である。寛文七年(1677)のことという。
 しかし明治の神仏分離令により観音院は廃寺となり、またしても観音像は長栄寺(東大阪市)に預けられることに。
 その後久宝寺村に伝染病が流行した際、多くの村民たちの夢に観音が顕れたことから、なんとしてもお帰り願おうということになり、明治四十二年(1909)、久宝寺の末院だったといわれる念佛寺に迎えて現在に至るという。

◆久宝寺観音院 詠歌額
久宝寺観音院 詠歌額

 念佛寺はもと久宝寺の末院であったのを、融通念仏の盤龍上人が整備して念仏回向の寺としたという。
 上記の経緯により、本堂の向かって右に河内西国の札所本尊である十一面観音が安置されており、「観音院」の扁額が掲げられている。
 明治まで久宝寺観音院があった許麻神社(南西二百メートル)には鐘楼が残り、今は手水舎となっている。

◆久宝寺観音院 扁額
久宝寺観音院 扁額

◆久宝寺観音院 御朱印 「大悲殿」
久宝寺観音院 御朱印


参考文献:
◇『やすらぎの古里 河内西国巡礼 こころの散策ガイド』 河内西国霊場会 2003


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