戊戌
少彦名神社で、今年の干支「戊戌」の御朱印をいただいてきた。少彦名神社 【すくなひこなじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 大阪府大阪市中央区道修町二丁目1-8 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 少彦名命【すくなひこなのみこと】 神農炎帝【しんのうえんてい】 |
創建 | 安永九年(AD1780) |
社格等 | 旧無格社 |
別称/旧称 | 神農 |
「治験」の神
薬の町として知られる大阪道修町の少彦名神社は、「神農さん」とも称ばれる。それは、道修町の唐薬種(清やオランダから輸入された薬の原料)を扱う中買仲間の会所に、古代中国の神農という神を薬祖神として祀ったのが少彦名神社のはじまりだからだ。少彦名命が併せ祀られるのは、和薬種も扱うようになってからのこと。
神農は伏羲・女媧とともに三皇に数えられる伝説上の帝王。人民に農耕を教えたことからこの名がある。漢の時代以後は南方・夏季を司る神「炎帝」と習合し、「炎帝神農」とも称した。牛頭人身であったという。
農耕のほか、養蚕や交易、また占筮や音楽など様ざまな文化・知識を人びとに伝えたとされるが、中でも医薬の神としてのエピソードが知られている。神農はあらゆる植物を自ら口にし、薬草と毒草を見極めたのだという。神農の胴体は透けていて外から内臓が見えていたため、食した草の薬効や毒素が体のどの部分に作用するかを確かめることができた。まさに、自らの体で治験を行ったというわけだ。
何度も毒にあたっては薬草によって蘇生したが、あまりに多くの毒を体内に摂り込んだために、ついには命を落としてしまう。
我が国で初めて神農が祀られたのは、寛永十五年(1638)年、幕府が江戸に開設した御薬園(薬草等を栽培する農園)だといわれている。これが各地の薬園や薬種商、漢方医等に広まり、薬祖神としてこぞって信奉された。
十一月二十二日と二十三日に少彦名神社では神農祭が行われ、道修町は多くの露店で賑わう。十二月の冬至祭とともに、薬業関連企業で構成される薬祖講の行事として大阪市の無形民俗文化財に指定されている。
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