井伊家ゆかりの社寺めぐり
井伊家ゆかりの社寺めぐり(井伊家ゆかりのふく福めぐり)は、「十徳果報を授かる」という謳い文句で、彦根市内を中心とする十ヶ所の社寺と史跡を巡る巡礼として平成二十一年(2009)に始まった。翌年には新たに三ヶ寺が加わって十三ヶ所となり、その後さらに湖東三山と称ばれる三ヶ寺も追加され、現在は十六ヶ所となっている。
彦根の弘法さん
彦根駅西口から駅前お城通りを彦根城へ向かって少し歩くと、交差する路地の先に「南無大師遍照金剛」の赤い幟がはためくのが見える。それが「彦根駅前の弘法さん」と称ばれる真浄山大師寺。昭和六年(1931)、一人の女性が僧に草鞋代を喜捨したことがこの寺の始まりという。その後女性は霊験を得て、仏門に入り大師寺を開山した。法号は真浄法尼。当時彦根に真言宗の信徒は少なく、弘法大師の霊徳を知る者は殆ど無い中、九十二歳で入寂するまで多くの衆生済度の修行を実践し、彦根における弘法大師信仰発祥の寺院として今日に至る、と由緒にある。
井伊家ゆかりの社寺めぐり 第一番 真浄山大師寺 【しんじょうさんだいしじ】 | |
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所在地 | 滋賀県彦根市佐和町7-19 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
御本尊 | 弘法大師 |
創建 | 昭和六年(AD1931) |
開山 | 真浄法尼 |
御詠歌 | ひこねなるさとのたみびとすくはむとだいしはつねにえいごうますらむ |
本尊は弘法大師。脇に波切不動明王を安置する。
毎月二十一日(弘法大師縁日)には開運厄除護摩祈祷、二十八日(不動明王縁日)には諸魔退散護摩祈祷が修されている。
本尊の前には、日本で唯一という、横たわる弘法大師のブロンズ像(寝弘法)がある。真浄法尼が仮死状態で横たわっている時に弘法大師の託宣を聞いたという逸話に基づいて作られたもの。寝弘法の頭部には京都東寺(教王護国寺)から分けられた仏舎利が納められており、弘法大師の御宝号を唱えながら像を撫でるとご利益があるという。
また境内には七福神の石像が並び、「彦根一箇所七福神」として尊崇されている。
彦根城の人柱
大師寺の所在地は、彦根城の東門にあたる佐和口から五百メートル程の場所。藩政時代には上瓦焼町と称ばれた辺り。徳川四天王の一人井伊直政は、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いののち近江佐和山十八万石を与えられ、佐和山城に入城した。佐和山は関ヶ原において西軍を指揮した石田三成の旧領だった。
直政は新たな城を築くことを考えていたが、関ヶ原で負った銃創が元で二年後に死去。跡を継いだのは十三歳の長男直継だった。
彦根城の築城が始まったのは慶長八年(1603)。徳川政権にとっては西国の抑えとして重要な城となるため、幕府から奉行が派遣され、周辺諸大名も工事に駆り出された。慶長十一年(1606)に天守が完成、直継が入城した。
天守の建築にまつわる逸話が地元に伝わる。
彦根城の普請が進む中、いよいよ天守の築造という段になって、工事に遅れが出始める。遅遅として進まない工事に業を煮やした普請奉行は、直継に人柱を立てることを進言する。しかし直継は人道に悖るその行為を認めなかった。工期の遅れは大きくなるばかりで、工事に携わる藩士たちは困った。彦根城は家康肝煎りの大事な城。これ以上遅れればどんなお咎めがあるかわからない。
ある藩士が帰宅して妻にその話をしていると、それを聞いていた娘の菊が、自分が人柱になると言いだした。両親は勿論止めるが、どんなに説得しても菊の決意は揺るがない。諦めた父は菊を連れ、直継に面会した。
直継も思いとどまるように言うが、菊の意思は固い。その思いを無下にはできず、結局菊が人柱に立つことになった。
白無垢に身を包んだ菊は白木の箱に入れられ、埋められた。
その後工事は順調に進み、無事天守が完成したのだが、それ以来、彦根城では菊の花が咲かなくなったという。
この話には後日談もある。
娘を失い悲しみに暮れていた藩士に、ある日登城の命令が下る。
平伏する藩士が直継に促され顔を上げると、そこには人柱になった筈の娘菊の姿が。
実は、直継が菊の入った木箱を空の箱とすり替えていたのだった。
のち、家康の命で井伊家の家督は直継の弟直孝に与えられ、直継は上野安中藩三万石を分知して名を直勝と改めた。直継が病弱であったというのが表向きの理由だが、家中を統制する器量がないと家康に判断されたためともいう。
明治の廃城令によって各地の城が破却されるが、彦根城はそれを免れている。明治天皇が巡幸中に彦根を通った際に保存を命じたといわれる。
昭和二十年(1945)八月十五日に彦根の夜間爆撃が予定されていたが、同日正午に終戦となったため爆撃は行われず、ここでも彦根城は破壊されずに済んだ。
江戸時代以来残る数少ない現存天守の一つとして、彦根城天守は国宝に指定されている。
参考文献:
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典25 滋賀県』 角川書店 1979
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