四所明神
泉州松尾寺は「松尾の山寺」と称ばれ、最盛期には寺坊三百六十余を数えたという一山寺院。今やその面影はなくひっそりとした境内を、本堂や不動堂を過ぎて奥へ進むと、古びた石鳥居が現れる。ここから先は松尾寺春日神社の神域。春日神社 【かすがじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 大阪府和泉市松尾寺町井戸山 |
御祭神 | 天児屋根命【あめのこやねのみこと】 比咩大神【ひめおおかみ】 武甕槌命【たけみかづちのみこと】 経津主命【ふつぬしのみこと】 |
創建 | 神護景雲二年(AD768) |
社格等 | 旧村社 |
別称/旧称 | 春日四所明神社 |
松尾寺春日神社は四所明神の名で松尾寺の鎮守神として同寺に祀られていたものだが、明治の神仏分離によって切り離され、松尾寺村の村社となった。
松尾寺に祀られていた鎮守神には他に、泰澄大師が勧請したと伝える三所権現(白山・熊野・金剛蔵王)、男乃神・宇刀神の配偶神とも韋駄天の化身ともいわれる地主明神、天台宗との本末関係から勧請されたと推定される山王権現(比叡山の地主神)があった。
江戸時代には、中央に三所権現を祀り、左右に春日四所明神を配していたようだ(『和泉名所図会』)。二柱ずつ左右に祀っていたのだろうか。
三所権現は神仏分離以後仏尊に改められ、現在は松尾寺本堂傍らの三天堂に祀られている。
春木春日神社との関係
松尾寺の縁起によると、春日四所明神は神護景雲二年(768)、鹿島明神を常陸国から奈良春日大社へ遷す途次にこの地で休息、松尾寺から雑掌を献じたことから勧請されたものという。これは松尾寺町と隣接する春木町の春日神社由緒譚と呼応するものだ。かつて松尾の一帯は春木荘と称した春日大社の荘園で、春木春日神社はその鎮守として祀られ、松尾寺は春木荘内にあって荘務を請け負う代官的立場を担っていた。その関係から、春木春日神社より勧請されたというのが史実だろう。
なお、松尾寺春日神社は明治四十一年(1908)九月十九日に春木春日神社に合祀されたが、後に還座している。
観音座
松尾寺春日神社には宮座「観音座」がある。その名は勿論「松尾観音」と通称される松尾寺から採られたものだろう。座筋の家三十四戸から家長各一人が座の帳簿に名を記される。年寄職はおらず、三十四人の座衆のうち毎年七人が持ち回りで当屋となって座を運営する。帳簿は七人のうちの最年長者が預かった。
正月・盆・秋祭・十二月に燈明を上げるのが当屋の仕事の一つ。
かつては一月の餅座、六月のそうめん座、十二月の勘定座と年三回集まりがあったが、今は四月十一日の一度だけ松尾寺の庫裡に座衆が集まり、当屋の賄いで酒と料理を出す。
春日神社裏は遊歩道が整備されていて、西国三十三観音巡りもできる。
木陰径をそぞろ歩く。かつてこの松尾山の至るところに堂宇が建ち並んでいたとはにわかに信じ難い静けさ。人里離れた奥地まで行かなくても、こうして自然に浸って最上のひとときを過ごすことのできる神社の杜は、貴重な遺産だなといつも思う。
参考文献:
◇井上正雄『大阪府全志 巻之五』 大阪府全志発行所 1922
◇大越勝秋「和泉市における宮座3」『阪南論集 第十一巻第三号』 阪南大学 1976
◇永野仁(編)『日本名所風俗図会11 近畿の巻I』 角川書店 1981
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典27 大阪府』 角川書店 1983
◇和泉市史編さん委員会(監修)『和泉市の歴史2 松尾谷の歴史と松尾寺』 和泉市 2008
◇塚田孝(監修)/和泉市史編さん委員会(編集)『和泉の寺社改帳I』(和泉市史紀要 第24集) 和泉市教育委員会 2016
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