薬の町「道修町」
大阪北浜エリアの道修町。ひしめくオフィスビルの谷間に、薬の神を祀る少彦名神社が鎮座している。道修町は江戸時代初期より薬の町として知られ、今も多くの薬品会社がオフィスを構える。寛永年間(1624~1645)、堺の小西吉右衛門が将軍徳川秀忠の許しで道修町一丁目に薬種屋を開いたのに始まり、その後享保七年(1722)に幕府が道修町の薬種商百二十四軒を株仲間として認可、清やオランダからの輸入薬(唐薬種)の独占販売権を得た。全ての唐薬種は長崎から大坂の唐薬問屋を経て道修町薬種中買仲間に集められ、品質検査を行った上で全国に流通していった。
張子の虎の看板が目印。
隣には「くすりの道修町資料館」が併設されている。
ビルの隙間の細い参道を入ると明治四十三年(1910)建造の立派な社殿(登録有形文化財)。
けして広いとは言えない境内には参拝者がひっきり無しに訪れる。
お参りを済ませ、授与所に御朱印帳をお預けする。一月中のみ、手彫りの鶏の印に「丁酉」の墨書きの初詣朱印となる。
少彦名神社 【すくなひこなじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 大阪府大阪市中央区道修町二丁目1-8 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 少彦名命【すくなひこなのみこと】 神農炎帝【しんのうえんてい】 |
創建 | 安永九年(AD1780) |
社格等 | 旧無格社 |
別称/旧称 | 神農 |
薬の神「神農さん」
「神農さん」と通称される少彦名神社は、医薬や酒造の祖神とされる少彦名命と、大陸で医薬や農耕の神として崇められる神農氏を祀る。唐薬種を主に扱っていた薬種中買仲間の会所では神農を早くから祀っていた。その後和薬種の扱いが増えるのに伴い、安永九年(1780)日本の薬祖神として少彦名命を京都松原通の五條天神社から勧請。
天保八年(1837)の大塩平八郎の乱で会所が焼失したため、同十一年(1840)社殿を新築している。明治四十二年(1909)には社地を拡大、翌四十三年(1910)完成した新社殿に遷宮し、現在に至る。
毎年十一月二十三日に行われる神農祭は大阪の一年の最後を締めくくる「とめの祭り」。道修町通に御堂筋から堺筋まで露天が並んで賑わう。
少彦名神社のシンボルともなっている張子の神虎はこの祭礼で授与される。
コレラが世界中で大流行した文政五年(1822)、虎の頭骨や雄黄(硫化鉱物)など十種の生薬を配合した「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬を作り、少彦名神社で祈祷を施して張子の虎と一緒に配布した。それが良く効くと評判になり、明治初年に法律によって虎頭殺鬼雄黄圓を扱えなくなった後も、五葉笹に吊るした神虎は病除けのお守りとして参拝者に授与され、最盛期には神農祭の宵宮・本祭の二日間だけで十四万個も出たという。
参考文献:
◇井上正雄『大阪府全志 巻之二』 大阪府全志発行所 1922
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典27 大阪府』 角川書店 1983
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