最古の市神
海石榴市は現在の桜井市金屋付近にあった我が国最古といわれる市場で、奈良の都へ続く山の辺の道、飛鳥へ通じる磐余の道、大和と伊勢を結ぶ初瀬街道、二上山へと延び竹内街道につながる横大路といった幹線道路が交錯し、大和盆地を横断して河内に注ぐ大和川水運の終着地点でもあり、「海柘榴市の八十の衢」と万葉歌に詠われた交通の要衝だった。市の立つ日は多くの人びとで賑わい、また男女の出逢いの場である歌垣が開かれ、さらには迎賓館などが設けられて外国との交流の拠点ともなった。磐余や飛鳥に都が置かれた時代、遣隋使の一行は海石榴市から初瀬川・大和川を下って難波津に出たし、大陸からの使節は川を遡ってここで船を降り、陸路で入京した。
延長四年(926)、台風によって発生した初瀬川の土石流に呑まれ、海柘榴市は甚大な被害を蒙ったらしい。『日本紀略』に「七月十九日癸酉 大風 此日大和國長谷寺山崩レ椿市ニ至リ人烟悉ク流ル」とある。この時、市の守護神も流され、御神体が海柘榴市の西の三輪の地に流れ着いた。その地に改めて神を祀ったのが、「日本最初市場の神」を称する三輪惠比須神社の創祀であると伝える。市も三輪に移転し、「三輪市」として栄えた。
惠比須神社 【えびすじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 奈良県桜井市三輪中町375 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 八重事代主命【やえことしろぬしのみこと】 八尋熊鰐命【やひろわにのみこと】 加夜奈流美命【かやなるみのみこと】 |
創建 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
別称/旧称 | 三輪惠比須神社 三輪坐惠比須神社 三輪市場惠美酒宮 市場神社 事代主神社 海石榴市惠比須 |
事代主と大物主
三輪惠比須神社は海石榴市の流れを汲む三輪の市場を守る市神としてエビス神を祀っている。本殿修理の際に発見された二十枚の棟札のうち最も古いのは、「上棟城上郡三輪市場恵美酒宮」と書かれた天正十五年(1587)銘のもの。
旧指定村社で、明治十二年(1879)の神社明細帳には「事代主神社」の名で載っている。同三十年(1897)に社名を惠比須神社に改めるとともに、大国主命・須勢理比売命(大国主の妻神)・八重事代主命の三柱であった祭神を八重事代主命・加夜奈流美命・八尋熊鰐に変更している。
事代主命は大己貴命(大国主命)の御子神で、国譲りの際、父に代わって武甕槌命と交渉した神。その時舟の上で釣りをしていたことから、海から漂着する寄神であるエビスと習合した。託宣を司る神というのが本来の神格とされる。
『日本書紀』一書第六によると、事代主は八尋熊鰐に化して三嶋溝樴姫(玉櫛姫)の許に通い、姫蹈鞴五十鈴姫(神武天皇の后)をもうけたとされる。
三輪の大神神社に祀られる大物主神は大国主の和魂とされるが、『古事記』では、丹塗矢に姿を変えた大物主と三嶋湟咋の娘である勢夜陀多良比売の間に比売多多良伊須気余理比売が生まれ、神武天皇に娶られることになっている。このことからすると、父子の関係にある大物主と事代主は同神とみることもできる。
賀夜奈流美命は記紀にはその名がないが、『出雲国造神賀詞』において倭大物主櫛瓺玉命・阿遅須伎高孫根命・事代主命とともに皇統の守護神とされている。事代主とは兄妹の関係にあるともいう。アヂスキタカヒコネも大国主の子とされるので事代主とは兄弟となる。
社殿の向かって左にある境内社の琴比羅神社には大物主神を祀る。明治十二年(1879)の神社明細帳では大己貴命となっている。「大黒様」と通称されており、七月九日に例祭が行われる。ともに福神であるエビスと大黒を併祭する例は多い。
三輪字平等寺に大神神社の境外末社である大行事社があり、事代主・八尋熊鰐・加夜奈流美を祀る。惠比須神社の勧請元であると伝えられ、元惠比須神社とも称する。
恵比須神社には三輪山福楽寺という神宮寺があったが、明治初年に廃寺となった。本尊地蔵菩薩は心念寺(融通念佛宗)の地蔵堂に遷され、「虫切地蔵尊」として今なお篤く信仰されている。また楼門は平等寺(曹洞宗)に移築された。鐘楼は今も残っているが、安永五年(1776)銘の梵鐘は太平洋戦争の金属供出で失われた。現在の鐘は戦後のもの。二月の初市大祭(初えびす)では行事の合図として今も鐘が撞かれる。
恵比須神社初市大祭の宵宮にあたる二月五日に大神神社で卜定祭が行われ、その年の三輪素麺の卸相場が占われる。相場が決まると大行事社と恵比須神社をまわって神事が奉斎される。三輪の一年の始まりを告げる大切な行事となっている。
参考文献:
◇『大和国式上郡神社明細帳』 奈良県立図書情報館所蔵 1879
◇『国史大系 第五巻 日本紀略』 経済雑誌社 1897
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