御挨拶
恭んで新春のお慶びを申し上げます。早いもので、このブログを立ち上げてから二年九ヶ月が経とうとしています。
当初思っていたようにさくさくと書き進められてはいませんが、じっくり腰を据えて続けていこうと考えております。これからもお引き立てを賜れれば幸いです。
平成二十九年 初春
今年もいくたまさんにお詣りして来ました。丁酉の御朱印です。
生國魂神社 【いくくにたまじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 生島大神【いくしまのおおかみ】 足島大神【たるしまのおおかみ】 大物主大神【おおものぬしのおおかみ】(相殿) |
創建 | 神武天皇即位前紀己未年(BC663) |
創祀 | 神武天皇 |
延喜式神名帳 | 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗 |
社格等 | 旧官幣大社 別表神社 |
別称/旧称 | 生玉神社 難波大社 |
鴫野神社と淀殿
生國魂神社の境内末社のひとつに鴫野神社がある。祭神は市寸島比賣神と大宮賣神、そして淀姫神。
元は大坂城の北東、鴫野村の弁天島という川の中州に「弁天社」として祀られていた。弁天島は今「大阪ビジネスパーク(OBP)」と称ばれている辺り。弁天社は片町橋南詰東側の竹藪の中にあった。
女性の心願成就、縁結びや悪縁切りに霊験あらたかと評判が高く、巳の日にはお参りする人が群れをなしたと伝わる。
この「鴫野の弁天さん」には三つの祠があって、中央に弁天、左に稲荷、右に淀姫を祀っていた。
淀姫とは豊臣秀吉との間に豊臣秀頼を生んだ淀殿のことで、大坂城の淀殿がこの弁天社を篤く崇敬していたことから、いつしか淀殿自身が祀られるようになったらしい。
伝承によると、大坂夏の陣で秀頼と淀殿が自害したのち、淀殿の遺骨が弁天社境内に埋められ、そこに祠を建てて「淀姫神社」と称したのだという。
明治十年(1877)、弁天島が陸軍の所有となり、弁天社の神霊は八劔神社(大阪市城東区鴫野東)へ遷され、弁天社の社殿と稲荷の神霊は生國魂神社へ移転して鴫野神社として祀られた。
この時、淀姫社の社地にあった石塔の地下を掘り起こすと、伝承通り骨壺が出てきた。本当に淀殿の骨かどうかは定かでないが、この骨と石塔は太融寺(大阪市北区太融寺町)に遷され、淀殿の墓として大切に守られている。
淀殿は異説もあるが、巳歳生まれといわれる。
その為か、炎に包まれる大坂城から淀殿が蛇の姿となって天に昇っていったとか、蛇と化した淀殿が大坂城の石垣の上から見下ろすとかいった、蛇にまつわる伝説がある。
彼女が崇敬したという弁才天も蛇との縁由が深い。
鴫野神社の裏には巳さん(蛇)を祀る御神木があって、淀殿への信仰と結びついた伝承があるようだ。
参考文献:
◇渡辺武『大阪城歴史散策』 保育社 1992
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