水の神
大和の西の玄関口と称ばれる王寺は、古くから交通の要衝だった。信貴・生駒山系と葛城・金剛山系の接点にあたり、大和盆地各地を流れる河川が集まり大和川となって、この地を経由して大阪へと注いでおり、水運の拠点となっていた。陸路では、河内から奈良へ至る奈良街道と、當麻寺を経て紀州へと続く道の分岐点にあたり、多くの人馬が往来した。王寺という地名は古く、敏達天皇の第三皇女片岡姫が開創した片岡王寺に由来するという。ただし敏達の系譜に片岡姫は確認できず、厩戸皇子(聖徳太子)の娘片岡女王開基とする説もある。片岡王寺は七堂伽藍を備えた大寺院であったといい、王寺町本町の黄檗宗放光寺がその法灯を継ぐと伝わる。
その放光寺に隣接して、同寺の鎮守であったとされる片岡神社が鎮座する。延喜式神名帳に名を連ねる片岡坐神社に比定される古社だ。
片岡神社 【かたおかじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 奈良県北葛城郡王寺町本町二丁目傍岳山6-1 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 豊受皇大神【とようけすめおおかみ】 表筒男命【うわつつのおのみこと】(住吉大神) 中筒男命【なかつつのおのみこと】(住吉大神) 底筒男命【そこつつのおのみこと】(住吉大神) 品陀別命【ほんだわけのみこと】(八幡大神) 清瀧大神【きよたきおおかみ】 天照皇大神【あまてらすすめおおかみ】 |
創建 | 不詳 |
延喜式神名帳 | 大和國葛下郡 片岡坐神社 名神大 月次新嘗 |
社格等 | 旧郷社 |
別称/旧称 | 大宮 五社明神 |
片岡神社は葛下郡傍丘郷の総社といわれ、地元では大宮と称した。明治の旧社格制度においては郷社に列した。明治四十四年(1911)に王寺村大田口字金計の村社金計神社、同村越瓜(白瓜)字歌人堂の無格社大原神社、同村門前字垣根の無格社住吉神社を合祀している。
式内片岡坐神社に比定され、特に神威あらたかな名神大社に列している。『新抄格勅符抄』収録の「神寺諸家封戸」大同元年(806)牒に「片岡神」に「大和七戸 遠江八戸 近江十五戸」の三十戸の神戸が与えられていることが見えるのが最も古い記録。『日本三代実録』によれば貞観元年(859)正月に正五位上に叙し、同年九月には奉幣を受けて風雨の為の祈願が行われている。正暦五年(994)には疫病・天災を鎮める為に中臣氏人が派遣され、奉幣している(『本朝世紀』)。
祈雨の神としての性格があったらしく、雨乞いの際には墓地から土を取って来て土饅頭を作り、神前に供えたという。神は死穢を厭うので、怒って雨を降らせるというわけだ。
五社明神とも称した。応仁二年(1468)の棟札に「片丘坐五社大明神」と記されている。明和年間(1764~1772)に新造され本殿に奉られた懸鏡には「八幡大菩薩 住吉大神宮 豊受大神宮 清瀧大権現 天照大神」の銘がある。明治十二年(1879)の『神社明細帳』では豊受姫命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長帯比賣命・品陀和気命・清瀧大神・天照皇大神を祭神とする。このうち品陀和気命(応神天皇)が八幡神、三柱の筒男命と息長帯比賣命(神功皇后)の四神が住吉神に当たる。現在は天照大神・三筒男神(住吉大神)・品陀別命(八幡大神)・豊受大神・清瀧大神を祀る。住吉神四柱のうち、神功皇后の名が消えている。
本来の祭神は不明。現祭神のうち、清瀧大神は空海が我が国に勧請したという清瀧権現のことで、善女龍王と同一とされる仏教由来の神。水を司る神だ。片岡神社が雨乞いの神であり、また当地が大和川水運の要所であったことから見て、清瀧大神こそが当初の祭神につながる存在のように思われる。
瓦葺の拝殿の奥に建つ本殿は、塀に囲まれている上に木が繁っているためよく見えない。『式内社調査報告』によると、木造銅板葺五間社神明造で、建坪三坪、柱は朱に塗られ、五間の各扉に向かって右から松(八幡)・竹(住吉)・梅(豊受)・牡丹(清瀧)・菊(天照)の彩色が施されているという。
中央拝殿の向かって左にも拝殿がある。これは末社四社を祀ったもので、王寺村内の神社を遷したものであることから垣内社と称する。
この四社について、『式内社調査報告』では向かって右より大原神社(門部王)・金計神社(天児屋根命)・住吉神社(中筒男命)・弁天神社(市杵島姫命)とするが、境内の掲示では右から大原神社・金計神社・長尾神社・住吉神社となっている。
大原・金計・住吉の各社は前述の通り明治の合祀。
そのうち大原神社の門部王は放光寺の檀越であった大原氏(敏達天皇後裔)の祖神であり、片岡神社との関係も深いとみられる。
住吉神社は道路を挟んで向かいの臨済宗達磨寺の鎮守社であったもので、神仏分離で同寺から切り離され、その後片岡神社に合祀。
合祀された三社とともに祀られている長尾神社は、片岡神社の約九キロメートル南、葛城市長尾に鎮座する同名社からの勧請だろう。
正安四年(1299)の『放光寺古今縁起』に
「當寺鎮守神殿三所
南御殿長尾五所 葛下郡惣社振別
中御殿八幡三所 源氏宗廟大菩薩
北御殿地主地霊 大原氏神付近小社」とあるのが注目される。
中央拝殿の向かって右には倉稲魂命(稲荷大神)を祀る賢岡神社。奇妙なことに、鳥居の扁額には「吉岡大明神」、社殿前の駒札には「賢岡大明神」とある。「かたおか」の地名を冠していること、境内社の中で一社だけ独立して祀られていることから考えると、地主神のような位置づけなのかもしれない。
元宮
片岡神社は王寺村大峯(現王寺町元町)から遷座したと伝えられている。現社地のおよそ六百メートル北西に「片岡神社旧地」と刻まれた石標があり、銅板葺の小祠が祀られている。そこは「モトミヤ」と通称され、かつては榊の巨樹が繁っていたというが、今は住宅に囲まれ、祠の左右に枯れた木が立つのみ。
だがまだ真新しい石の鳥居や燈籠、玉垣がしつらえられ、きちんと手入れされているようだ。毎年二月十一日には宮跡祭が行われている。
片岡神社の宮座は元宮のある大峯地区にだけ残っている。座員の家に長男が生まれると、その家が新たに頭屋となる。十月二十六日の例祭の前日、宵宮になると、頭屋は一ノ老から五ノ老の五人衆(五令長)を招いてもてなし、その夜、五人衆及び座衆が御幣を先頭に片岡神社に詣で、神饌を奉納する。翌日の本祭の朝にも同様に参拝し、神饌を持ち帰って座衆に分配することになっている。
大峯から現在地の四十メートルほど西の字張井に遷座したのは一説に保延年間(1135~1141)という。
さらに天保十四年(1843)張井から現在地の字門前に遷っている。
参考文献:
◇『大和国葛下郡神社明細帳』 奈良県立図書情報館所蔵 1879
◇式内社研究會(編)『式内社調査報告 第二巻 京・畿内 2』 皇學館大学出版部 1982
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典29 奈良県』 角川書店 1990
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