女神の島
彦根港を出ておよそ四十分、船は竹生島の桟橋に接岸した。琵琶湖北部に浮かぶ竹生島は、古くから神の坐す島として信仰対象となり、現在は島の南側に都久夫須麻神社と宝厳寺が建つ。
都久夫須麻神社 【つくぶすまじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 滋賀県長浜市早崎町竹生島1665 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 市杵島比売命【いちきしまひめのみこと】(弁財天) 宇賀御霊命【うかのみたまのみこと】(宇賀福神) 浅井比売命【あざいひめのみこと】 |
創建 | 雄略天皇三年(AD459) |
延喜式神名帳 | 近江國淺井郡 都久夫須麻神社 |
社格等 | 旧県社 |
別称/旧称 | 竹生島神社 筑夫嶋神社 竹生島権現 竹生島弁才天社 |
竹生島にはおおらかで雄大な誕生説話が伝わる。
霜速比古命に三柱の御子神がいた。
長姉は比佐志比売命、一名を坂田比売命といい、久恵峯(霊仙山)にいた。
次が多多美比古命で気吹雄命とも称し、夷服岳(伊吹山)の神であった。
三番目は浅井岡(金糞岳)の浅井比売命といった(多多美比古の姪とする伝承もある)。
ある時、夷服岳と浅井岡が高さ比べをすることになったのだが、浅井岡が一夜にして高さを増したため、多多美比古は怒り、剣を抜いて浅井比売の首を斬ってしまった。比売の首は琵琶湖に落ち、島となった。それが竹生島だという。
この伝承には金属精錬に携わった氏族の影がちらつく。伊吹山から吹き下ろす強風は「伊吹颪」と称ばれ、古代よりこの風を利用した製鉄が盛んだったことはよく知られている。また金糞岳周辺でも製鉄遺跡が発見されており、その名は金属精錬の際に生じる金屎(鉱滓)に由来するものだろう。多多美彦の名は「たたら」を連想させるし、剣で斬り殺したというのも鍛冶に直接結びつく。谷川健一は「朝日」という言葉と金属の縁由を指摘しているが、浅井姫を朝日姫とすれば、浅井姫もまた本来は金属に関わる神だったのではないか。
ただし、現在の竹生島に金属の要素は見出せない。都久夫須麻神社に祀られる浅井比売は琵琶湖を守る水神としての属性が強いようだ。
都久夫須麻神社の社伝によると、雄略天皇三年(459)、小祠に浅井比売を祀ったのがその始まりという。
のち奈良時代になり、聖武天皇の勅願により行基が寺院(宝厳寺)を開創し、四天王を安置したと伝える。平安時代には現在の宝厳寺本尊である弁才天が祀られ、やがて浅井比売は弁才天と習合、同一視されるようになっていったとみられる。
以来、竹生島は弁才天信仰の霊地として長く栄えることとなる。
現在は市杵島比売を主祭神としているが、これは明治以降のことであり、本来は弁才天であったことは言うまでもない。そして、地主神のような位置付けで配神として扱われている浅井比売こそが、その本体と言える。
龍蛇の社
入島受付を抜けると大鳥居。石段を上ると宝厳寺。赤い鳥居がある右の脇道を進むと都久夫須麻神社の境内。とはいえ、両者は上でつながっているので、どちらを行っても一回りしてここに戻って来ることになる。明治七年(1874)、神仏分離令により都久夫須麻神社と宝厳寺は分離したが、元は一体のものだった。
都久夫須麻神社は明治四年(1877)郷社に列し、次いで同三十二年(1905)には県社に昇格している。
都久夫須麻神社と宝厳寺は何度か火災に遭っているが、その度に復興している。現在の都久夫須麻神社本殿は慶長七年(1602)に豊臣秀頼の命で片桐且元が普請奉行となり、伏見城の一部を移築して造営したもので国宝となっている。
本殿前の左右に末社が鎮座。向かって左には天忍穂耳命と大己貴命を併せ祀る。天平三年(731)に聖武天皇が祀ったという。向かって右の祠の祭神は江島大神と厳島大神。
摂社白巳社は宇賀神を祀る。
明星跡は弘法大師が庵を結んだ跡。大同二年(807)に竹生島を訪れ、参籠したと伝える。
本殿の南側に突き出した断崖には龍神拝所が設けられ、突端に祀られている小祠を拝する。かわらけを投げて鳥居をうまく潜れば願いが叶うという。
宇賀弁才天に宇賀神、龍神。竹生島は蛇と龍に縁が深い。それらは全て湖水を司る浅井姫に収斂する。
都久夫須麻神社本殿から続く渡廊(舟廊下)の向こうは、西国三十三所の札所となっている宝厳寺の観音堂。
参考文献:
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典25 滋賀県』 角川書店 1979
◇谷川健一『青銅の神の足跡』 小学館ライブラリー 1995
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