古色
その壮麗さを龍宮城にも例えられる薬師寺。南門の南に、休ヶ岡八幡宮の古色鮮やかな社殿が鎮座する。「古色鮮やか」とは我ながら矛盾したおかしな言い回しだと思うが、この社殿に限っては、私にとってしっくりくる表現なのだ。
古びて色褪せているのは間違いないのだが、なんともいえない華やかさがある。艶がある。
それは、再建されたのが桃山時代ということで、古式を重んじつつも当時の絢爛豪華を好む気風が表れているからとも言えるし、東塔と東院堂を除いて新しい建造物が建ち並ぶ薬師寺白鳳伽藍の、ある意味での軽やかさ、若若しさとの対比における、古さ故に醸し出される色気のようなものがそう思わせるのかもしれない。
薬師寺 休ヶ岡八満宮 【やすみがおかはちまんぐう】 | |
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鎮座地 | 奈良県奈良市西ノ京町休岡 |
御祭神 | 誉田別命【ほんだわけのみこと】(八幡神/応神天皇) 息長足姫命【おきながたらしひめのみこと】(神功皇后) 仲津姫命【なかつひめのみこと】(応神天皇皇后) |
創建 | 寛平八年(AD896) |
創祀 | 栄紹法師 |
社格等 | 旧村社 |
別称/旧称 | 休ヶ丘八満宮 休岡八幡神社 薬師寺八幡宮 薬師寺鎮守八幡宮 |
社殿は石積みの壇上に西面して建つ。本殿は三間社流造の檜皮葺で左右に切妻造檜皮葺の脇殿が付属する。国の重要文化財に指定されている。慶長八年(1603)豊臣秀頼の命により片桐且元が造営。この時瑞垣門・楼門・中門等も新造されたというが、地震で崩壊しており現存しない。
神像彫刻最初期の名品として知られる国宝八幡三神坐像はこの本殿に祀られてきた御神体。脇殿には南北合わせて二十二柱の板絵神像(国重文)が祀られる。
神仏和合
薬師寺を守護すべく創祀された休ヶ岡八幡宮は、今も名実ともに薬師寺鎮守である。明治の神仏分離により薬師寺と切り離され村社となったが、現在は再び薬師寺の管理するところとなり、各種法会・祭礼の際には神前で僧侶による読経が行われる。
寺院の鎮守社として宇佐の八幡神が勧請されるのは天平勝宝元年(749)、東大寺の手向山八幡宮が最初とされる。
のち大同二年(807)または斉衡二年(855)に大安寺の行教が大安寺八幡宮(元石清水八幡宮)を宇佐より勧請。この勧請の途次、薬師寺の南の丘で休息をとったと伝えられ、故にその地を「休岡」と称するようになったという。
行教はさらに貞観元年(859)にも宇佐を訪れ、山城男山に勧請、石清水八幡宮を創建している。
その後、薬師寺別当栄紹が休岡に八幡神を勧請(宇佐からとも男山からともいう)。これが休ヶ岡八幡宮である。『薬師寺古記録抜粋』によると創建は寛平八年(896)のこと。三神像も同時期の作製とみられる。
休ヶ岡八幡宮社殿は嘉暦二年(1327)に焼失し、その後も天災や兵火でたびたび修復・再建を繰り返しながらも、創祀以来の神体は守られ、今なお「神仏和合」の名の下に祭祀が続けられている。
参考文献:
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典29 奈良県』 角川書店 1990
◇逵日出典『八幡宮寺成立史の研究』 続群書類従完成会 2003
◇山田法胤ほか『薬師寺』(新版 古寺巡礼 奈良9) 淡交社 2010
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薬師寺は、法相宗の大本山で南都七大寺の一つに数えられます。白鳳時代の代表的建築で「凍れる音楽」と評された東塔や国宝薬師三尊像とともに、昭和から平成にかけて復興された金堂・西塔・大講堂のある白鳳伽藍や玄奘三蔵院伽藍と、山内には新旧を超えた仏教美が絶妙の調和をもって展開しています。
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