四番のお宮さん
門真市元町の細い路地を歩くと、ほどなく目当ての石鳥居が現れた。白砂の敷かれたさほど広くない境内をまっすぐに延びる敷石の向こうに、大きく湾曲した唐破風が印象的な拝殿が見える。門真神社 【かどまじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 大阪府門真市元町中畔17-11 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 素盞嗚尊【すさのおのみこと】(牛頭天王) |
創建 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
別称/旧称 | 四番の宮 牛頭天王社 中宮 |
門真神社は旧河内国茨田郡門真四番村の鎮守として、地元では「四番のお宮さん」と称ばれ親しまれてきた。
古くは南宮・中宮・北宮の三社があり、門真神社はそのうちの中宮だという。この記述は『大阪府全志』にあるのだが詳細が書かれておらず、南宮・北宮が現存するいずれかの神社なのか、既に廃絶したものかは不明。
門真荘は一番上・一番下・二番・三番・四番の五村からなる。門真神社の創建時期はわからないが、四番村の分村の際に一番上村の牛頭天王社(現御堂町の八坂神社)から勧請したものとみられる。
文禄三年(1594)の検地の際に社地四畝一歩が除地とされ租税免除を受けており、少なくともこの時には存在していたことになる。
門真四番村の北に位置する三番村には、伊勢神宮の斎王(斎宮)が退下(離任)して京へ戻る際に立ち寄る宿所にあてられた茨田真手御宿所址がある。
そこにはかつて三番村の産土神が祀られ、真手山黄梅寺がその神宮寺であったが、明治時代に門真神社境内に遷された。菅原道真を祭神とする末社真手神社がそれである。これによって三番村に神社は存在しなくなり、同村字小路は門真神社の氏地、字宇治は二番村天神社の氏地となった。
おすまばあさんとガラスケ
むかし、門真四番村のお宮へ続く参道に小さな菓子屋があり、おすまというばあさんがひとりで切り盛りしていた。店は今日も今日とて閑古鳥。いつものように縁台に腰掛けてうつらうつらしていると、どこからかやって来た野良猫がばあさんの草履に鼻を摺り寄せて喉を鳴らしている。
「なんや。腹減ったか」
いやに人懐こい猫だと思いながら、団子を串からはずしてひとつ投げてやると、飛びついて旨そうに食い、平らげるとガラガラと変な声で鳴いた。まるで人の笑い声のようだ。前脚を手招くように上下させながら笑い続ける猫の姿がねだっているように見えて、
「あとひとつだけやぞ」
ばあさんは団子をもうひとつ差し出した。
次の日も猫はやって来た。おすまばあさんが団子を縁台に置くと飛びついてぱくり。そしてガラガラと笑うように鳴く。
その次の日も現れた。ぱくり。ガラガラ。
そのまた次の日も、ぱくり。ガラガラ。
毎日通って来る猫はばあさんの店に段段と長く居据わるようになり、いつしかすっかり居付いてしまった。身寄りのないばあさんは猫のことを我が子のように思い、「ガラスケ」と名付けて可愛がった。
たまに訪れる客にもガラスケはガラガラと鳴きながら手招きをして愛想を振りまいた。
ガラスケはやがて「おすまばあさんトコの笑い猫」として村中の評判になり、ばあさんの店は客足が伸びた。ガラスケを一目見ようとよその村からも人が押し寄せ、大繁盛した。人びとはガラスケが客を招き、福を招いたのに違いないと噂し合った。
看板猫がすっかり板についたガラスケは、相変わらずガラガラと笑い、手招きの仕草で客を喜ばせた。
ある日、ばあさんの店を京都伏見の人形師が訪れた。ガラスケの評判をどこかで耳にしたらしい。ガラガラと笑いながら手招きをするガラスケを見て、人形師は
「この猫の土人形を作って福招きの猫ゆうて売ったら大儲け間違いなしや!」
と伏見に飛んで帰って行った。
伏見稲荷の参道に何十軒もの人形屋が軒を連ね、様様な人形が並ぶ中で、ガラスケが片方の前脚を上げて手招きをする姿をかたどった福招き猫人形は、人形師の思惑通りたちまち大評判となった。参詣に訪れた人びとはその愛らしさに魅かれ、商売繁盛・福運招来の縁起物としてこぞって買っていった。
これが招き猫の起源と伝えられている。
ガラスケはその後もおすまばあさんに可愛がられ、幸せな日日を過ごした。ガラガラという、あのおかしな笑い声を辺りに響かせながら。
招き猫の発祥については全国に諸説入り乱れているが、門真の猫をモデルに作られたとする説が地元に伝わる。元祖招き猫ガラスケは門真市のイメージキャラクターにもなっている。
参考文献:
◇井上正雄『大阪府全志 巻之四』 大阪府全志発行所 1922
◇並河永『五畿内志 下巻』 日本古典全集刊行会 1930
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典27 大阪府』 角川書店 1983
◇門真市PTA協議会母親代表委員会(編)『門真の民話』
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