ラグビーの守護神

 東大阪市にある花園ラグビー場は昭和四年(1929)に開場された日本初のラグビー専用スタジアムであり、全国高校ラグビーの会場として知られている。「花園」といえば高校生ラガーの憧れの地だ。
 その程近くに「ラグビー神社」の通称を持つ吉田春日神社はある。選手やファンが必勝祈願に訪れる、ラグビーの守り神だ。

吉田春日神社

吉田春日神社



春日神社
【かすがじんじゃ】
鎮座地大阪府東大阪市吉田二丁目市場6-22
包括単立
御祭神天児屋根大神【あめのこやねのおおかみ】
比売大神【ひめおおかみ】
武甕槌大神【たけみかづちのおおかみ】
経津主大神【ふつぬしのおおかみ】(斎主大神【いわいぬしのおおかみ】)
創建不詳
社格等旧村社
別称/旧称吉田春日神社 松の宮


 吉田春日神社は旧河内郡吉田村の鎮守社で、創建時期は不明だが、大和春日大社より四柱神を勧請したと伝わる。古くは「松の宮」と称したという。
 明治五年(1872)枚岡神社に合祀されて社殿だけが残されたが、同十三年(1880)に復祀となり村社に列す。
 大正十一年(1922)の『大阪府全志』には末社として八幡神社・金刀比羅神社・稲荷神社・天満宮・幸神社が挙げられているが、いずれも現存している。

吉田春日神社 拝殿

吉田春日神社 拝殿



 寛文十年(1670)再建、享保五年(1720)に大修理された本殿は「二間社入母屋比翼造にけんしゃいりもやひよくづくり」と称し、妻入二間社入母屋造檜皮葺つまいりにけんしゃいりもやづくりひわだぶきの二殿を並べ、間に棟をかけて連結した特異な造り。天保十年(1839年)に塗り替えられた極彩色の壁画の保存状態も良く、大阪府の有形文化財に指定されている。
 修理経緯などを記した天保三年(1832)の『示申録』によれば、元は西面して建っていた本殿を、寛文の再建時に東向きに建て替えたらしい。

 拝殿には奉納された大きな木製のラグビーボールとラグビーボール型の絵馬が並び、この神社のシンボルとなっている。

吉田春日神社 木製ラグビーボール

吉田春日神社 木製ラグビーボール



富景楼

 前述の『示申録』を著したのは吉田村の庄屋を務めた吉田思玄(玄兵衛)という文人で、「富景楼」の主として知られた人物だった。
『河内名所図会』及びそれを出典とした『大阪府全志』の記述によると、富景楼は思玄が自邸近くに建てた書院で、所蔵していた数千の書籍を市井の学者・文人に開放したもの。これに感銘を受けた大和小泉藩主片桐氏(吉田村は同藩の飛地領だった)も書籍を寄贈し、思玄が保存に努めた。
 この富景楼から望む四季の光景を選定した「富景楼十景」なるものがあり、詩句の寄題に使われることも多かったという。

 富景楼十景
  • 駒山朝暾 生駒山の朝日
  • 高安秋月 高安山の秋の月
  • 弱江斜陽 若江(吉田の南西)の夕日
  • 桜井春烟 桜井(東大阪市六万寺町・往生院六萬寺付近の古地名)の春霞
  • 水田白鷺 水田の白鷺
  • 恩智流蛍 恩智川の蛍
  • 麦隴錦雉 麦畑の雉
  • 金嶽残雪 金剛山の残雪
  • 池島夜雨 池島(吉田の南)の夜の雨
  • 華岡晩鐘 花岡山(八尾市楽音寺にあった花岡山古墳)の夕方の鐘

 花園ラグビー場のすぐ隣の吉田墓地に思玄の墓がある。
 吉田家はその後も代代庄屋を務めたが、次第に家運が衰微し、吉田村新家にあった屋敷は明治二十年(1887)頃に他人の手に渡った。
 思玄の後、富景楼がどうなったかは詳らかでない。

吉田春日神社 御朱印

吉田春日神社 御朱印




参考文献:
◇井上正雄『大阪府全志 巻之四』 大阪府全志発行所 1922
◇秋里籬嶋『河内名所図会』 柳原書店 1975
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典27 大阪府』 角川書店 1983


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