初夏の薬師寺へ
一部で熱狂的に盛り上がっている薬師寺「仏教と刀」「噂の刀展」へ行ってきた。この日はちょうど玄奘三蔵会大祭も執り行われていて、玄奘三蔵法師の旅を描いた伎楽も観覧することができた。
薬師寺 【やくしじ】 | |
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所在地 | 奈良県奈良市西ノ京町寺内457 |
宗派 | 法相宗 |
御本尊 | 薬師瑠璃光如来【やくしるりこうにょらい】 |
創建 | 天武天皇九年(AD680)(藤原京)/養老二年(AD718)(平城京) |
開基 | 天武天皇(藤原京)/元明天皇(平城京) |
開山 | 祚蓮和尚(藤原京)/行基菩薩(平城京) |
寺格等 | 法相宗大本山 南都七大寺 |
別称/旧称 | 瑠璃宮 |
法相宗大本山薬師寺は天武天皇の発願により藤原京で造営が始まり、二十年以上をかけて完成したといわれる。その後平城遷都に伴い、現在地に移転した。藤原京の薬師寺は本薬師寺と称し、元の地で十一世紀頃まで存続していたとみられる。橿原市城殿町に遺構が残る。
本尊は国宝の薬師三尊。薬師如来坐像を中心に、両脇に日光・月光の両菩薩が立つ。この三尊像については藤原京薬師寺から移座したとする説と、平城京薬師寺で新造したとする説があり、決着をみていない。どちらの説をとるかによって、美術史的には円熟の白鳳仏か天平仏の端緒か意見が分かれる。
古代の仮面劇
五月五日に行われる玄奘三蔵会大祭は法相宗の始祖であり、『西遊記』でもお馴染みの玄奘三蔵法師を顕彰する法会。玄奘三蔵会の中心となるのは伎楽奉納で、このために創作された伎楽『三蔵法師』が演じられる。玄奘三蔵が天竺へ旅立ち、苦難の末に唐に経典を持ち帰るまでを描く。
伎楽は早くに廃れてしまったため、現在の薬師寺でおこなわれるそれは残された僅かな文献の記述を想像で補完し、現代風にアレンジもして復興したものであって、奈良時代のものとは別物なのだが、それでも往時の雰囲気を十分に感じることができる。
滑稽な伎楽面を被った演者たちと、笛や太鼓を手にした楽士たち、さらに僧侶たちが行列を作って舞台へと向かう。その様子は現代の練り供養や獅子舞を彷彿とさせる。
そして大講堂の前にしつらえられた舞台で演じられる仮面劇を見れば、それが能楽や狂言のルーツであると思い起こさせる。
伎楽は人びとの記憶から失われたが、そのエッセンスは様ざまな形で文化として引き継がれているのがわかる。
噂の刀展の大行列
大宝蔵殿と聚宝館で開催されている「仏教と刀」「噂の刀展」へ向かうと、凄まじい大行列ができていた。拝観受付で「混んでいる」と聞いてはいたがこれほどとは。何でも、大倶利伽羅広光が一日限定で公開された日に次ぐ人出だという。並ぶ人たちの年齢層は高めで、「刀剣女子」率は思ったほどではなかった。展示も間もなく終わるからだろうか(大倶利伽羅広光の公開日は九割が刀剣女子だったというが)。
結局一時間半ほどの待ち時間で聚宝館に入ることができた。待っている間は加藤大覺師・村上定運師の軽妙な法話で飽きさせず、それほど苦ではなかった。薬師寺のお坊さんは皆さんお話が上手い。
聚宝館の「噂の刀展」では村正・正宗・虎徹・兼定など刀に詳しくない者にもお馴染みの名刀が並ぶ。それほど大きくない会場は人で溢れ、列を作って順に見ていくためじっくり観察できる雰囲気ではなかった。
続いて大宝蔵殿特別開扉「仏教と刀」へ。こちらの入口で限定御朱印「倶利迦羅不動」をいただき、不動明王・千手観音・文殊菩薩・八臂弁財天・四天王など、剣を手にした仏像を観覧。「噂の刀展」と違い、比較的ゆっくりと見ることができた。こちらは素通りする人が多かったようだ。
個人的には大宝蔵殿に展示されていた、鬼神像に内蔵された刀が特に印象的だった。鞘が鬼神像になっていて、頭部から刃を収納する造り。ちょっと欲しいと思ってしまった。
玄奘三蔵院伽藍では万燈供養会も行われ、夜には整然と並べられた燈籠に火が灯される。時間の関係でその様子を見ることができなかったのは残念だった。
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