平成二十八年は丙申歳
謹賀新年。恒例のいくたまさんの干支朱印を受けてきた。
今年は丙申。
生國魂神社 干支朱印
辛卯歳(平成二十三年)
壬辰歳(平成二十四年)
癸巳歳(平成二十五年)
甲午歳(平成二十六年)
乙未歳(平成二十七年)
丙申歳(平成二十八年)
丁酉歳(平成二十九年)
戊戌歳(平成三十年)
辛卯歳(平成二十三年)
壬辰歳(平成二十四年)
癸巳歳(平成二十五年)
甲午歳(平成二十六年)
乙未歳(平成二十七年)
丙申歳(平成二十八年)
丁酉歳(平成二十九年)
戊戌歳(平成三十年)
生國魂神社 【いくくにたまじんじゃ】 | |
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鎮座地 | 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 |
包括 | 神社本庁 |
御祭神 | 生島大神【いくしまのおおかみ】 足島大神【たるしまのおおかみ】 大物主大神【おおものぬしのおおかみ】(相殿) |
創建 | 神武天皇即位前紀己未年(BC663) |
創祀 | 神武天皇 |
延喜式神名帳 | 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗 |
社格等 | 旧官幣大社 別表神社 |
別称/旧称 | 生玉神社 難波大社 |
猿と称ばれた豊臣秀吉
生國魂神社が豊臣秀吉の大坂城築城のために現在地に遷座したのは天正十三年(1585)。秀吉は三百石の土地を寄進して社殿を新造した。秀吉といえば四百八十年前、今年と同じ丙申の歳である天文五年(1536)一月一日に生まれたという説がある。しかしそれは「猿」に似た容貌だったといわれる秀吉を申歳生まれとした後世の創作とされ、実際には天文六年(1537)二月六日の酉歳生まれらしい。
また猿を神使とする日吉山王の申し子であるといわれ、母が尾張清洲の日吉神社に参詣した際に日輪が懐に入る夢を見て授かった子だという話もある。日吉神社にあやかって幼名を日吉丸といったというのも創作だ。
これらの伝説は後世の講談などで創作されたものといわれるが、秀吉が山王を深く信仰していたのは事実のようで、織田信長の比叡山焼き討ちにより荒廃した日吉大社を信長の死後復興させている。
猿と称ばれたことから山王に親近感を抱いていたのかもしれない。だがそれだけにはとどまらず、政治的に利用した節もある。猿にまつわる上記の逸話のいくつかは、秀吉自身が流布させたともいわれる。猿に似た醜い容貌だったというのは当時の多くの史料に記されているから事実なのだろうが、それを逆手にとって日吉神に結びつけ、権威に箔をつけるのに利用した。流石は天下人たる器である。
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