安寧天皇陵の拝所を後にして北へ向かうと、すぐに道が二つに分岐する。右へ進んで大谷町の集落に入り、池に沿って回り込んでいくと、民家の横の細い路地の奥に鳥居が現れる。大谷町の鎮守である八幡神社だ。

◆八幡神社 鳥居
八幡神社 鳥居

八幡神社
【はちまんじんじゃ】

鎮座地: 奈良県橿原市大谷町辰巳214

包括: 神社本庁

御祭神:
誉田別命【ほんだわけ】(応神天皇)
住吉大神【すみよし】(配祀)
大物主神【おおものぬし】(配祀)

創建: 不詳

社格等: 旧村社


◆八幡神社 拝殿
八幡神社 拝殿

 地図で確認すると集落の南東の端に建っているのがわかる。小字名を「辰巳」というのも頷ける。
 背後は鬱蒼とした畝傍山の森。まさにひっそりと佇むといった趣。

◆八幡神社 本殿
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 創建がいつのことかはわからないが、境内に現存する物では宝永三年(1706)寄進の石灯籠が最も古い。
 境内社として大物主命を祀る琴平神社があったことが『高市郡神社明細帳』に記されているが、現在本殿の他に確認できるのは庚申碑のみ。
 新版『橿原市史』に拠れば大正九年(1920)に本殿を改築し、境内社の琴平神社と野神神社を合祀したとある。野神神社の祭神は不明としているが、要するに古くから信仰されてきた名も無き神だろう。
 野神信仰は大和盆地の各地に今も残っていて、塚や祠、古木など様様な形で祀られている。野神は田の神であり、蛇をかたどった綱や藁束を担いで練り歩くといった祭事が示すように、蛇神としての属性を有する場合が多い。蛇は水の神であり、山から田へ豊穣をもたらす存在であった。

◆八幡神社 庚申碑
八幡神社 庚申碑

 一方、旧版『橿原市史』は相殿神として大物主神とともに住吉大神を挙げる。
 住吉神を祀る経緯は不明だが、同じ大谷町内に鎮座する畝火山口神社が大阪住吉の住吉大社と古来密接な関係にあり、畝火山口神社も住吉三神の一柱・表筒男命を祀っているから、その関わりかもしれない。
 なお、『角川日本地名大辞典』には 明治十年(1877)大谷村(現橿原市大谷町)字上山にあった庚申塔が吉田村(現橿原市吉田町)の安寧寺へ移され、また同所の金比羅神社が住吉神社に合祀されたとの記述がある。
 この金比羅神社というのは八幡神社内にあった琴平神社のことなのだろうか。住吉神社というのはどこにあったのだろうか。

◆八幡神社 本殿
八幡神社 本殿

◆八幡神社 本殿
八幡神社 本殿

 畝傍山の周辺には白檮井・花原井・清水井・ウシ井・御陰井・大谷井・大井・若井の八つの井戸があったと伝える。他に「弘法大師の七つ井戸」ということもある。畝傍山に登る際には七つ井戸の水で身を清める習わしがあったともいう。
 八井のうち御陰井と大谷井以外の所在はわからないそうだ。御陰井は安寧天皇陵の南に現存し、「御陰井上陵」の名の由来にもなっている。大谷井は大谷村にあって、非常に水質が良く、慈明寺村など近隣の村からもこぞって汲みに来ていたというが、現在は残っていないとか。
《続く》


参考文献:
◇『大和国高市郡神社明細帳』 奈良県立図書情報館所蔵 1879
◇橿原市史編纂委員会(編)『橿原市史』 橿原市役所 1962
◇池田末則,横田健一(監修)『日本歴史地名大系30 奈良県の地名』 平凡社 1981
◇改訂橿原市史編纂委員会(編)『橿原市史 下巻』 橿原市役所 1987
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典29 奈良県』 角川書店 1990


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