♪Interlude #1: "Moonchild"
King Crimson

長山稲荷社から再び橿原神宮南神門をくぐり、拝殿前広場を抜けて北参道へ戻る。途中、畝傍山登山口の標識に従い左へ。程なく東大谷日女命神社の社号標と鳥居が現れる。

◆東大谷日女命神社 鳥居
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東大谷日女命神社【ひがしおおたにひめみことじんじゃ】

鎮座地: 奈良県橿原市畝傍町唐院69

包括: 神社本庁

御祭神:
姫蹈鞴五十鈴姫命【ひめたたらいすずひめ】

創建: 不詳

延喜式神名帳: 大和國高市郡 東大谷日女命神社 ※別説/大和國高市郡 畝火山口坐神社 大 月次 新嘗

社格等: 旧無格社

別称/旧称: 熊野神社 十二神社 上の宮

◆東大谷日女命神社 拝殿
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創祀時期は定かでない。江戸時代までは熊野権現と称し、伊弉册尊を祀っていた。
明治二十年(1887)頃、延喜式神名帳にある東大谷日女命神社の後裔であるとし、祭神を神功皇后へと変えた。その後、さらに姫蹈鞴五十鈴姫命に変更。社名を東大谷日女命神社へ変更したのは明治三十五年(1902)という。

◆東大谷日女命神社 本殿
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式内・東大谷日女命神社の論社は桜井市山田にもう一社あり、こちらは少なくとも江戸時代には同式内社に比定されていたようだが、この畝傍山麓の熊野社が明治以前にそれを称した形跡はない。
当社が東大谷日女命神社を名乗ることになる根拠は、畝傍の地に「大谷」という地名が存在することである。現在、畝傍山西麓に橿原市大谷町がある。
度会延経『神名帳考証』(江戸時代中期)も東大谷日女命神社を畝傍山西の大谷村にあるとしている。しかし解せないのは、当社の鎮座地は大谷村ではなく、それどころか大谷村の真反対、畝傍山の東であることだ。
『神名帳考証』の記す畝傍山西の東大谷日女命神社がどの神社であるかははっきりしないが、一説には現在大谷町に鎮座する畝火山口神社(式内・畝火山口坐神社の比定社)がそれであるともいい、即ち両社の伝承がいずれかの時点で入れ替わった、あるいは同じ場所でともに祀られていたといった可能性も考えられる。
どうも「東」の一字に引っ張られて畝傍山の東に鎮座地を求めた節もある。ただし『神名帳考証』は東を「夜麻止【やまと】と訓むべし」とする。河内の西に対する倭(大和)の東である。卓見であろう。

いずれにせよ、当神社を式内・東大谷日女命神社とする明快な根拠は見当たらないし、その経緯も不明瞭である。

◆東大谷日女命神社 本殿(背後から)
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祭神はイザナミから神功皇后、ヒメタタライスズヒメと移り替わっている。
ヒメタタライスズヒメは『日本書紀』によると事代主神と玉櫛媛の娘で、神武天皇に見初められその正妃となった。『古事記』では富登多多良伊須須岐比売【ほとたたらいすすきひめ】または比売多多良伊須気余理比売【ひめたたらいすけよりひめ】の名で、三輪の大物主神が丹塗矢に変じ勢夜陀多良比売の陰部を突いて生まれたとする。

神武天皇の皇后が祭神に選ばれたのは、神武天皇陵と橿原神宮の傍らにあるということによる付会に過ぎず、これもまた皇国史観に基づいて整えられた「真実」というわけだ。

Call her moonchild
彼女は月光の子
Waiting for a smile from a sun child
太陽の子の微笑みを待っている

"Moonchild"
『ムーンチャイルド』

《続く》


参考文献:
◇度会延経『神名帳考証』 松岡雄淵書写(西尾市岩瀬文庫所蔵) 1760


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