毎年一月八日から十日、浄瑠璃寺の潅頂堂が開扉され、大日如来坐像等が公開される。一月十五日まで厨子が開かれている吉祥天女立像も合わせて拝してきた。
◆浄瑠璃寺 三重塔

◆浄瑠璃寺 本堂

藤原時代に流行し、多数建てられた九体阿弥陀堂が現存する唯一の寺。
九体阿弥陀堂とはその名の通り九躯の阿弥陀仏を安置する仏堂で、極楽往生を願う者をその性質や行いによって九つの等級に分け、それぞれに対応する阿弥陀如来がいるとする九品往生の考えに基づく。九品とは上品・中品・下品の三品をさらにそれぞれ上生・中生・下生の三生に分けたもので、上品上生が最上級で下品下生が最下級。人の行為等を指して言う「上品」「下品」の語源であり、「中の上」というような言い方もここから来ている。
天平十一年(739)行基開創とも伝わるが、文献上で確認できる最も古い記録は、大和當麻の義明という僧が薬師如来を祀る小堂を建てたというもので永承二年(1047)のことという。檀那となったのは阿知山大夫重頼なるこの地の豪族。あるとき重頼が小田原山で狩りをした折、常に持ち歩いていた小さな薬師如来像を置き忘れてしまう。翌朝取りに戻ると、像は岩にはりついて取れない。仏縁を感じた重頼は義明上人を招いてその地に薬師像を安置する堂を建て、浄瑠璃寺と名づけたという。
浄瑠璃寺の名は当初の本尊・薬師如来の東方瑠璃光浄土(浄瑠璃世界)に由来するもので、九体阿弥陀如来を新たに本尊としたのは嘉承二年(1107)とみられる。薬師如来は現在三重塔に安置される。
◆浄瑠璃寺 三重塔

浄瑠璃寺の伽藍は浄土式庭園の形をとり、宝池を中央にして東に薬師の三重塔、西に九体阿弥陀の本堂を配す。それぞれを東方浄瑠璃世界、西方極楽浄土に見立て、池の東岸が此岸、西岸が彼岸という訳だ。東岸に立ち、池を背にして薬師仏に現世での救済を願い、振り返って池越しに彼岸の阿弥陀仏を拝んで来迎を願うのが本来の礼拝法だそうだ。寺では阿弥陀仏を西の本尊、薬師仏を東の本尊と称んでいる。
◆浄瑠璃寺 本堂と宝池(阿字池)

まず本堂にお参りする。最初に迎えてくれるのは四天王のうち持国天と増長天。多聞天と広目天がそれぞれ京都と東京の国立博物館に寄託されているのは残念。四躯とも国宝で、平安後期を代表する名作。彩色が鮮やかに残っている。小顔でスタイルが良く、藤原時代らしい洗練された優美さがある。武人天部像好きの私がこの寺を訪れる目的の半分くらいはこの四天王像を見ることだと言ってもいい。
横に広い本堂には九体の阿弥陀如来(国宝)がずらりと並ぶ。他の寺院では見ることのない光景だ。末法の世の人びとはどのような思いで衆生を遍く救うという九体阿弥陀仏を拝んだのだろう。
年に三回、一定期間だけ公開される吉祥天は阿弥陀中尊の前、向かって左に小さな厨子に納まって立っている。色白の平安美人だけあってファンは多いらしい。
続いて潅頂堂へ。
◆浄瑠璃寺 潅頂堂

潅頂堂は仏堂というより庫裏の一部といった赴き。元は書院として使われていたようだ。
潅頂堂本尊の金剛界大日如来坐像は文化財未指定ながら、近年注目を集めつつある。というのも、浄瑠璃寺から程近い奈良円成寺の安元二年(1176)銘運慶作大日如来坐像や岐阜横蔵寺の寿永二年(1183)銘「筑前講師」作大日如来坐像といった、平安最末期から鎌倉初期にかけての慶派の作例によく似ているのだそうだ。
制作年は承安元年(1171)とも治承二年(1178)ともいうが、詳しいことはわからない。奈良仏師の手により円成寺大日如来像と同じ規範で造像されたものと考えられる。
平成十七年(2005)修復が行われることとなり、江戸時代に施された厚い塗りを取り除くことによって当初の優れた造形が顕わになった。
とまあそういう専門的なことはさっぱりわからないが、この像は好きだと感じた。
それほど大きな像ではないが、潅頂堂の仏間の中でしっかりと存在感を放っている。でもそれは重厚さとか荘厳さとは少し違って、(泥下地が除去されたことによる印象の違いというのもあるかもしれないが)穏やかで柔らかな感じ。円成寺大日の画像と見較べると、顔つきは若若しいような気がする。体躯は円成寺に較べてややバランスが悪いような気がしなくもない(二の腕が長い?)。
鄙びた山里の古刹に相応しい、派手さはないがすっきりとした気持ちの良い像だと思った。
潅頂堂には大日如来の他、天河社より勧請され池の中島に祀られていた弁財天像、前鬼・後鬼を従えた役行者像、浄瑠璃寺開山の義明上人像も安置され、開扉期間中は見ることができる。
◆浄瑠璃寺 御朱印 「九体佛」

大きな地図で表示
◆浄瑠璃寺 三重塔

小田原山法雲院浄瑠璃寺
【おだわらさんほううんいんじょうるりじ】
所在地: 京都府木津川市加茂町西小札場40
宗派: 真言律宗
御本尊:
九体阿弥陀如来(本堂・西本尊)
薬師如来(三重塔・東本尊)
創建: 永承二年(AD1047) 一説に天平十一年(AD739)
開基: 阿知山大夫重頼
開山: 義明上人 一説に行基菩薩
寺格等: 真言律宗由緒寺
別称/旧称: 九体寺 九品寺 西小田原寺
【おだわらさんほううんいんじょうるりじ】
所在地: 京都府木津川市加茂町西小札場40
宗派: 真言律宗
御本尊:
九体阿弥陀如来(本堂・西本尊)
薬師如来(三重塔・東本尊)
創建: 永承二年(AD1047) 一説に天平十一年(AD739)
開基: 阿知山大夫重頼
開山: 義明上人 一説に行基菩薩
寺格等: 真言律宗由緒寺
別称/旧称: 九体寺 九品寺 西小田原寺
◆浄瑠璃寺 本堂

藤原時代に流行し、多数建てられた九体阿弥陀堂が現存する唯一の寺。
九体阿弥陀堂とはその名の通り九躯の阿弥陀仏を安置する仏堂で、極楽往生を願う者をその性質や行いによって九つの等級に分け、それぞれに対応する阿弥陀如来がいるとする九品往生の考えに基づく。九品とは上品・中品・下品の三品をさらにそれぞれ上生・中生・下生の三生に分けたもので、上品上生が最上級で下品下生が最下級。人の行為等を指して言う「上品」「下品」の語源であり、「中の上」というような言い方もここから来ている。
天平十一年(739)行基開創とも伝わるが、文献上で確認できる最も古い記録は、大和當麻の義明という僧が薬師如来を祀る小堂を建てたというもので永承二年(1047)のことという。檀那となったのは阿知山大夫重頼なるこの地の豪族。あるとき重頼が小田原山で狩りをした折、常に持ち歩いていた小さな薬師如来像を置き忘れてしまう。翌朝取りに戻ると、像は岩にはりついて取れない。仏縁を感じた重頼は義明上人を招いてその地に薬師像を安置する堂を建て、浄瑠璃寺と名づけたという。
浄瑠璃寺の名は当初の本尊・薬師如来の東方瑠璃光浄土(浄瑠璃世界)に由来するもので、九体阿弥陀如来を新たに本尊としたのは嘉承二年(1107)とみられる。薬師如来は現在三重塔に安置される。
◆浄瑠璃寺 三重塔

浄瑠璃寺の伽藍は浄土式庭園の形をとり、宝池を中央にして東に薬師の三重塔、西に九体阿弥陀の本堂を配す。それぞれを東方浄瑠璃世界、西方極楽浄土に見立て、池の東岸が此岸、西岸が彼岸という訳だ。東岸に立ち、池を背にして薬師仏に現世での救済を願い、振り返って池越しに彼岸の阿弥陀仏を拝んで来迎を願うのが本来の礼拝法だそうだ。寺では阿弥陀仏を西の本尊、薬師仏を東の本尊と称んでいる。
◆浄瑠璃寺 本堂と宝池(阿字池)

まず本堂にお参りする。最初に迎えてくれるのは四天王のうち持国天と増長天。多聞天と広目天がそれぞれ京都と東京の国立博物館に寄託されているのは残念。四躯とも国宝で、平安後期を代表する名作。彩色が鮮やかに残っている。小顔でスタイルが良く、藤原時代らしい洗練された優美さがある。武人天部像好きの私がこの寺を訪れる目的の半分くらいはこの四天王像を見ることだと言ってもいい。
横に広い本堂には九体の阿弥陀如来(国宝)がずらりと並ぶ。他の寺院では見ることのない光景だ。末法の世の人びとはどのような思いで衆生を遍く救うという九体阿弥陀仏を拝んだのだろう。
年に三回、一定期間だけ公開される吉祥天は阿弥陀中尊の前、向かって左に小さな厨子に納まって立っている。色白の平安美人だけあってファンは多いらしい。
続いて潅頂堂へ。
◆浄瑠璃寺 潅頂堂

潅頂堂は仏堂というより庫裏の一部といった赴き。元は書院として使われていたようだ。
潅頂堂本尊の金剛界大日如来坐像は文化財未指定ながら、近年注目を集めつつある。というのも、浄瑠璃寺から程近い奈良円成寺の安元二年(1176)銘運慶作大日如来坐像や岐阜横蔵寺の寿永二年(1183)銘「筑前講師」作大日如来坐像といった、平安最末期から鎌倉初期にかけての慶派の作例によく似ているのだそうだ。
制作年は承安元年(1171)とも治承二年(1178)ともいうが、詳しいことはわからない。奈良仏師の手により円成寺大日如来像と同じ規範で造像されたものと考えられる。
平成十七年(2005)修復が行われることとなり、江戸時代に施された厚い塗りを取り除くことによって当初の優れた造形が顕わになった。
とまあそういう専門的なことはさっぱりわからないが、この像は好きだと感じた。
それほど大きな像ではないが、潅頂堂の仏間の中でしっかりと存在感を放っている。でもそれは重厚さとか荘厳さとは少し違って、(泥下地が除去されたことによる印象の違いというのもあるかもしれないが)穏やかで柔らかな感じ。円成寺大日の画像と見較べると、顔つきは若若しいような気がする。体躯は円成寺に較べてややバランスが悪いような気がしなくもない(二の腕が長い?)。
鄙びた山里の古刹に相応しい、派手さはないがすっきりとした気持ちの良い像だと思った。
潅頂堂には大日如来の他、天河社より勧請され池の中島に祀られていた弁財天像、前鬼・後鬼を従えた役行者像、浄瑠璃寺開山の義明上人像も安置され、開扉期間中は見ることができる。
◆浄瑠璃寺 御朱印 「九体佛」

大きな地図で表示
Commenti / コメント
コメントする