聖徳太子御遺跡 第三番
蓮土山道明寺
【れんどざんどうみょうじ】


所在地: 大阪府藤井寺市道明寺一丁目乾堂14-31

宗派: 真言宗御室派

御本尊:
十一面観世音菩薩

創建: 推古天皇二年(AD594)

開基: 聖徳太子 土師八嶋

別称/旧称: 土師寺

納経題字: 木槵樹


◆道明寺 楼門
道明寺 楼門

 道明寺は古義真言宗を奉ずる尼寺で、この地の豪族土師氏の氏寺であった土師寺をその前身とする。そもそもは土師氏の祖神、天穂日命を祀る神社があり、それに付属するような形で建てられたようだ。聖徳太子の発願により、土師連八嶋が自邸を寄進して創建されたと伝わる。
 かつては隣接する道明寺天満宮と一体であり、社殿と並んで本堂が建っていた。主体は寺院であり、神社の祭祀も道明寺の尼僧によって執り行われていた。しかし明治の神仏分離で境内地の大半は「土師神社」(道明寺天満宮と称するのは戦後)となり、五つあった寺坊のうち二之室が神職に就いた。そして道明寺は東高野街道を挟んで西の現在地に遷り、寺院として存続した。

 旧境内にあった鐘楼を改築したという山門をくぐる。敷き詰められた玉砂利には綺麗に箒目が立てられている。派手さはないが、端正でやわらかい空気が漂う、尼寺らしい細やかな心配りを感じることのできる空間。
 尼寺らしいといえばそうそう、余談だが、御朱印を請うといつもいただける様様な花をあしらった散華もまた尼寺ならではの心遣いだと思う。

◆道明寺 本堂
道明寺 本堂

 聖徳太子開創とされてはいるものの、正直に言って太子の影は薄い。何しろ土師氏の子孫に菅原道真という有名人が出たため、いつの時代からか太子の名をことさらに喧伝する必要がなくなったのだろう。
 実際、道明寺における事物の多くは菅原道真に結びつけて語られる。道明寺という名は道真の号「道明」から採ったものだし、本尊の国宝十一面観音立像も道真の作ということになっている。
 中興開山の法明房了祥尼ら尼僧たちによって造立されたという重文の聖徳太子孝養像もあるものの、あまり前面には押し出していない印象(本尊が国宝なのでそうなるのも仕方ないが)。

◆道明寺 御朱印 「木槵樹」
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「木槵樹」" target="_blank">道明寺 御朱印<br>
「木槵樹」

 聖徳太子御遺跡霊場の納経印の墨書は「木槵樹【もくげんじゅ】」。モクゲンジというムクロジ科の落葉樹のことで、道明寺に伝わる故事に由来するものだが、これも太子ではなく道真にまつわるものである。
 モクゲンジは袋状の実をつけ、その中に包まれた黒い種は数珠に用いられる。道明寺の方によれば、境内の木槵樹の実が落ちる秋になると数珠に仕立てるために拾いに来る人もいるそうだ。

◆道明寺の木槵樹
道明寺の木槵樹

 道真は叔母の覚寿尼が住する道明寺を度度訪れたといわれている。何度目かの滞在時、道真は五部の大乗経を写経し土中に埋めた。すると後日その経塚から木槵樹が生えてきた。その種で数珠を作ると大変な功徳が得られると評判になったという。
 この伝説は往時には広く知られていたようで、能の題材としても採用された。その謡曲『道明寺』の大筋は以下のようなもの。
 相模国の僧尊性は信濃善光寺で霊夢を見る。曰く、河内国土師寺の木槵樹で数珠を作り、念仏を百万遍称えれば往生必至と。尊性は土師寺を訪れ、老宮人に次第を語る。宮人は尊性を木槵樹に案内すると寺の縁起や天神(道真)の顕した神秘などを語り、自身が道真の従者白太夫であることを告げて消える。その夜、尊性の夢に再び白太夫が現れ、木槵樹の実を振るい落として尊性に与える。

 白太夫というのは道真の大宰府への下向に付き従い最期を看取ったとされる人物で、伊勢外宮の神官度会春彦のこと。若い頃から髪が真っ白だったためそう称ばれたという。白太夫社は全国の天神を祀る神社の多くにあって、勿論道明寺天満宮にも祀られている。

 実は現在道明寺の寺域にある木槵樹は件の霊木ではない。寺の少し南の西宮神社(道明寺天満宮境外末社)にある大樹がそれである。

◆道明寺天満宮境外末社西宮と木槵樹
道明寺天満宮境外末社西宮と木槵樹

 道明寺天満宮の参道を南へ下ると古代道明寺(土師寺)の五重塔礎石がある。そこを西へ曲がった突き当たりに西宮は鎮座する。三社神祠とも称し、道真に大乗経埋納の場所を示したという伊勢・春日・八幡の三神を祀る。社殿の傍らに木槵樹が枝葉を広げている。ここが道真が大乗経を埋めた場所だ。現在の木槵樹は何代目かのものだそうだ。

 古社・古寺に聳える大樹を見るたび、様様な歴史を見守ってきたであろうその永い生に思いを馳せる。
 道明寺の木木もまた、土師氏の祖神信仰に始まり、聖徳太子信仰、天神信仰と変遷していく姿を見つめてきたのだろう。


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