
少し日が経ってしまったが、先月、なら燈花会へ行ってきた。毎年八月、春日大社や東大寺、興福寺を含む奈良公園一帯をろうそくの優しい光が照らす。
平成二十六年(2014)は八月五日から十四日まで行われた。今年で十六年目、すっかり奈良の夏の風物詩として定着したようだ。
スマートフォンで撮ったため碌な写真がないですがご勘弁。
◆なら燈花会 興福寺

ほのかに明るさの残る時間にはまだ鹿もいて、子供たちは恐る恐る近づきかけてはやっぱり離れる、を繰り返していた。
◆なら燈花会 浅茅ヶ原

◆なら燈花会 浅茅ヶ原

◆なら燈花会 浮見堂

「燈花」とはろうそくの灯心の先にできる花の形をした蝋の塊のことで、これができると縁起が良いとされるという。訪れた人びとが幸せになるようにとの願いを込めて「燈花会」と命名された。
ささやかな幸せでいい。このろうそくの灯のように小さくてささやかな幸せを。そして来年の夏もこうしてここへ来て、平穏な日日を過ごせたことを感謝できるように。
ろうそくに灯る光にそんなことを願いつつ、家路についた。

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Commenti / コメント
コメント一覧 (2)
しばらく更新をされてなかったので少し心配でしたが、今日開いてみたら新しい記事が上がってたのでうれしくてコメしてしまいました。お忙しかったのかな?
燈花会わたしも行きましたよ!
お子さんと一緒に行かれたんですね?
わたしははじめて行ったんですけど、ほんとに感動しました。来年もきっと行くと思います。
ささやかな幸せを祈るって、すごいわかります。ロウソクの灯りを見てたらわたしもほんとにそんな気持ちになりました。
これからも楽しみにしてます。がんばってください。あ、なんかせっついてるみたいですけど(ごめんなさい)、マイペースでいいですよ。
個人的にいろいろありまして、ブログを更新する心境になれない感じでしたが、そのように言っていただけるとこちらも励みになります。
柄にもなく幸せがうんたらかんたらなんて書いてしまいましたが、幸せってなんなのか、みたいなことを考えざるを得ない状況に今なってまして(笑)
「誰かの幸せは誰かの不幸の上になりたっている」なんて言う人がいますが、やっぱりそういうものなのかな、みたいに思ってしまったり。多分そんな風に考えてしまうのも、心にゆとりが無い今の状況が原因なのでしょうけど。
どうすれば自分以外の人の幸せを心から願えるようになれるんでしょうね。その境地に達した時には、相手の幸せを自分の幸せとして感じることができるんでしょうけど、聖人君子でも偉大な宗教家でも無い自分には無理みたいです。
あかん、どんどん話がダウナーな方向にいってしまうのでこの辺で。
当分はまったり更新になると思いますが、よかったらまた覗いてください。ありがとうございます。
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