三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなもかくさふべしや 額田王 天智称制六年(667)三月十九日、 第三十八代天智天皇(この時はまだ即位していないため、正確には中大兄皇子)は飛鳥岡本宮から近江大津宮へ宮都を遷した。冒頭の一首は、当時を代表する女性歌人である額田王が遷都のために飛鳥を離れ、近江へ下る道行きに詠んだとされる歌だ。 ...

前編はこちら 住吉神社〔河内長野市小山田町〕 奥河内の神功皇后伝説ともうひとつの仲哀天皇陵〈前編〉 中編はこちら 住吉神社〔河内長野市小山田町〕 奥河内の神功皇后伝説ともうひとつの仲哀天皇陵〈中編〉 ◆仲哀天皇陵伝承地 否定される仲哀陵説 現河内長野市 ...

前編はこちら 住吉神社〔河内長野市小山田町〕 奥河内の神功皇后伝説ともうひとつの仲哀天皇陵〈前編〉 ◆住吉神社 本殿(背後) 神功皇后の伝説 河内長野市によれば「奥河内」とは「河内長野市を中心とした大阪南東部の山麓エリア」を指すとのことで、近頃この名称の普及 ...

海の神が鎮まる丘 市街地を突っ切るように南へのびる国道一七〇号バイパス(大阪外環状線)は、河内長野の上原町交差点を過ぎると両脇の建物が一気に減り、のどかな風景に変わる。左手、つまり東には田畑が広がり、そして右の西側にはなだらかな丘陵が道路に沿うように緑の ...

右大臣藤原豊成とその娘中将姫が暮らした邸宅の跡と伝わる徳融寺。その境内に、本尊と並んで篤く信仰された観音像を安置する観音堂がある。徳融寺観音堂は現在、北和八十八所霊場の第四番札所であるが、元禄八年(1695)の御詠歌集では四番が徳融寺本尊の天得如来となっており、観音堂は番外に名を連ねている。天得如来の御詠歌は「もろもろのくどくをつめばかのきしにいたるねがいもとおるおおてら」。 ...

藤原豊成という人がいる。日本史上きっての名族藤原氏の氏祖・鎌足の曾孫にして藤原一族の氏上(長者)であり、従一位右大臣にまでなった人物だが、弟の仲麻呂(恵美押勝)の陰に隠れて存在感は少少薄い。知名度はお世辞にも高いとはいえまい。だが中将姫の父親だといえば、「ああ、あの」と膝を打つ人も多いのではないだろうか。 ...

◆西光院 山門 大和北部八十八ヶ所 第三番 紫雲山西光院 【しうんざんさいこういん】 所在地:奈良県奈良市高御門町21 宗派:華厳宗 御本尊: 弘法大師 創建:不詳 別称/旧称:廿日大師 西室 御詠歌:とむろうてまいるこころは西光院みちびきたまえあじのふるさと/ ...

 安寧天皇陵の拝所を後にして北へ向かうと、すぐに道が二つに分岐する。右へ進んで大谷町の集落に入り、池に沿って回り込んでいくと、民家の横の細い路地の奥に鳥居が現れる。大谷町の鎮守である八幡神社だ。 ◆八幡神社 鳥居 八幡神社 【はちまんじんじゃ】 鎮座地: 奈 ...

 安寧天皇神社の参道を下り、坂を上って元の道へ。道の左手(西側)には吉田町の家家。その北の背後に緑の小山が見える。アネ山(アネイ山)とも花陰山とも西山ともいわれ、安寧天皇陵に治定されている場所だ。  程なく生垣で囲われた拝所が現れる。拝所はアネ山の東側に ...

 畝傍山の南、三方を山に囲まれたマナゴ谷。その西側の丘陵はマナゴ山、またはマサゴ山と称ばれている。  マナゴ谷の中央、懿徳天皇畝傍山南繊沙渓上陵の南面に設けられた拝所から北西に進み、南方向に坂を下ってマナゴ山の西側に回り込む。果樹園の中を細い道がマナゴ山 ...

 西池尻八幡神社を出て、来た道を北へ戻り、橿原神宮西の鳥居を右に見ながら更に北へ。民家の屋根の向こうにこんもりとした小山が見えてくる。生垣に挟まれた参道の先に神明鳥居。第四代懿徳天皇の御陵だ。 ◆懿徳天皇陵 参道 懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵【いとくて ...