千代神社の創祀は第八代孝元天皇の皇女倭迹迹姫命【やまとととひめのみこと】誕生の時と伝えられている。のち第十七代履中天皇御宇(400~405)に再建されたという。かつては多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)の末社であった。千代宮【ちよのみや】と称していたが、明治二年(1869)現社名に改めている。 ...

井伊家ゆかりの社寺めぐり(井伊家ゆかりのふく福めぐり)は、「十徳果報を授かる」という謳い文句で、彦根市内を中心とする十ヶ所の社寺史跡を巡る巡礼として平成二十一年(2009)に始まった。翌年には新たに三ヶ寺が加わって十三ヶ所となり、その後さらに湖東三山と称ばれる三ヶ寺も追加され、現在は十六ヶ所となっている。 ...

逃避行 急な出立だった。  明日の朝、この村を出て三重谷へと向かう手筈になっていたので、道中召し上がっていただこうと村人たちは夕刻から餅米を蒸し、小豆を炊いてぼた餅を作る準備をしていた。それが急遽夜のうちに出発することになり、仕方ないので蒸しあがったばか ...

天女の羽衣 むかし、丹後(現在の京都府北部)の比治の里のはずれに和奈佐翁【わなさのおきな】という老狩人とその妻が住んでいた。夫婦は貧しく、その日その日を慎ましく暮らしていたが、子供のいない二人にとってはそれで不足はなかった。  いつものように翁が山で獲物 ...

お伊勢さんの始まりから現在まで 崇神天皇五年(BC93)、疫病が流行して民の半数以上が死亡するという事態が訪れる。翌年になっても収まる気配はなく、土地を離れて流浪する者、反逆する者が相継ぎ、政が立ち行かなくなった。天皇が天神地祇に伺いを立てたところ、当時宮中 ...

四所明神 泉州松尾寺は「松尾の山寺」と称ばれ、最盛期には寺坊三百六十余を数えたという一山寺院。今やその面影はなくひっそりとした境内を、本堂や不動堂を過ぎて奥へ進むと、古びた石鳥居が現れる。ここから先は松尾寺春日神社の神域。 春日神社 鳥居 春日神社 【 ...

創祀 尼崎の櫻井神社は尼崎藩主であった櫻井松平家の祖信定公を祀る霊社として、旧藩士を中心とする結社「信愛社」有志により創建された。  明治十三年(1880)五月に署名活動を始める。当時の櫻井家当主にして尼崎藩最後の藩主櫻井忠興は神社奉斎に反対していたが、尼崎 ...

寺田村鎮守 大阪府和泉市の寺田神明神社は、和泉国和泉郡寺田村の産土神として同村字井戸田に鎮座していた。 神明神社 拝殿 神明神社 【しんめいじんじゃ】鎮座地大阪府和泉市寺田町三丁目3-24御祭神天照皇大神【あまてらすすめおおかみ】 天児屋根命【あめのこやね ...

合祀と復社 高塚山の麓を発して和泉市内を北流する松尾川。その流域を松尾谷と称ぶ。  松尾谷は古くから開けた土地で、その中でも最初に人びとが住み始めたのは、かつての和泉国府にも近い谷北部であった。六世紀頃には物部支族の韓国連【からくにのむらじ】がこの地に勢 ...

青岸渡寺 本堂 西国巡礼 西国三十三所観音巡礼は、およそ千三百年の歴史を持つといわれる日本最古の巡礼行。紀伊・和泉・河内・大和・山城・近江・丹波・摂津・播磨・丹後・美濃の十一ヵ国、現代の行政区分でいうと和歌山・大阪・奈良・京都・滋賀・兵庫・岐阜の七府県に ...

大阪北浜エリアの道修町【どしょうまち】。ひしめくオフィスビルの谷間に、薬の神を祀る少彦名神社が鎮座している。道修町は江戸時代初期より薬の町として知られ、今も多くの薬品会社がオフィスを構える。寛永年間(1624~1645)、堺の小西吉右衛門が将軍徳川秀忠の許しで道修町一丁目に薬種屋を開いたのに始まり、その後享保七年(1722)に幕府が道修町の薬種商百二十四軒を株仲間として認可、清やオランダからの輸入薬(唐薬種)の独占販売権を得た。 ...