延喜式内社にして和泉国大鳥郡上神谷上条の総鎮守櫻井神社の社殿前に、立派な石碑が建てられている。碑には櫻井神社を含め三つの式内社の名とその祀る神が刻まれている。 ...
櫻井神社〔堺市南区片蔵〕 八幡神降臨伝説と桜井氏祖神の謎
鉢ヶ峯の堺公園墓地から続く道を北へ辿り、丘陵を切り開いて貫く府道二〇八号(堺泉北環状線)を跨ぐ橋を渡って坂を下る。「きつね坂」というらしい。間もなく「櫻井神社」「上神郷総鎮守」と刻まれた一対の石柱が現れる。ここから先は櫻井神社の神門に向かって道が真っ直ぐにのびている。 ...
聖徳太子御遺跡 第六番 叡福寺〔南河内郡太子町太子〕 太子御廟守護の寺
聖徳太子の愛馬黒駒は空を翔ることができたという。推古天皇六年九月、太子二十七歳の時、初めて黒駒に乗ることとなった。これは同年四月に諸国より献上された馬の中から太子自身が選び、自邸で調教してきた甲斐産の駿馬だった。 ...
井伊神社〔彦根市古沢町〕 八幡神の化身として生まれた井伊家始祖
寛弘七年(1010)正月元日の早朝、遠江国引佐郡井伊谷(現静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)に鎮座する八幡宮の神主が、神田の傍らにある御手洗の井戸で赤子が泣いているのを発見した。抱き上げてみれば、顔立ちは秀麗、黒目がちの瞳からは聡明さが溢れ出ている。 ...
大物主神社〔尼崎市大物町〕 平清盛・源義経の伝承と祭神の謎
兵庫県尼崎市に「大物」という地名がある。淀川の支流神崎川の河口部に位置し、平安時代末期から鎌倉時代にかけて港町として賑わった。西日本各地から運ばれた材木の集積地として栄え、材木の特に大きなものを指す「大物」が地名の由来ともいう。 ...
大将軍神社〔高槻市下田部町〕 禍を祓う境界の神
道は、人が往来し、物資や文化をもたらすとともに、時には疫病のような災厄も運んで来た。悪しきモノの侵入を防ぐため、辻や村境に神が祀られ、「道切り」が行われた。その神は「道祖神【どうそじん】」「道陸神【どうろくじん】」「塞神【さえのかみ】」など様様な名で称ばれる。 ...
八幡神社(天祖神社)〔堺市南区畑〕 丘の上に鎮まる八幡さんとお伊勢さん
旧河内国大鳥郡畑村(現堺市南区畑)の鎮守八幡神社は、明治四十一年(1908)三月五日櫻井神社に合祀されたことが記録に残っている。その後の経緯は詳かでないが、こんもりと緑が繁った丘の上に、畑八幡神社は今も鎮座している。 ...
観心寺〔河内長野市寺元〕 国宝如意輪観音御開帳
毎年四月十七日と十八日の二日間、大阪府河内長野市の観心寺において、秘仏如意輪観世音菩薩(国宝)の厨子が開扉される。平成二十九年(2017)四月十八日、仕事の休みが合い、念願のその姿を拝むことができた。観心寺は役行者が修行道場として開いたと伝えられる古刹。 ...
湊川神社〔神戸市中央区多聞通〕 悲劇の英雄楠木正成〈後編〉
湊川神社の鎮座地は楠木正成が最期を迎えた場所と伝わる。境内の西北隅に、玉垣で囲われ門が設えられた一角がある。石標には「史蹟 楠木正成戦歿地」と刻まれている。この場所こそ、延元元年(1336)五月二十五日、楠木正成が将士七十余人とともに殉節を遂げた地だという。 ...
湊川神社〔神戸市中央区多聞通〕 悲劇の英雄楠木正成〈前編〉
湊川神社は南北朝時代の英雄楠木正成を祀る霊廟として明治五年(1872)に創建された。南朝方に属した皇族や武将を祭神とする建武中興十五社の一つであり、国家の為に功労のあった人臣を祀る神社の社格として設けられた別格官幣社に列した最初の神社。 ...
皇大神宮社〔宇治市広野町〕 街道の分岐点広野新田
永井信濃守尚政が山城淀十万石の藩主として淀城に入ったのは大御所徳川秀忠の死の翌年、寛永十年(1633)のこと。尚政は十六歳で秀忠の小姓となって以来秀忠の側近として仕え、老中まで務めた。同じく老中井上正就・京都所司代板倉重宗と共に秀忠近侍三臣と称された。 ...
六壁神社〔S市紅葉区杜王町六壁坂〕 杜王町を守る古社とジョースター地蔵
M県S市紅葉区杜王町に鎮座する六壁神社は、飛鳥時代の創祀を伝える古社。杜王町はS市のベッドタウンとして発展してきた。町の南を流れる一小川【いちおがわ】流域を中心に縄文時代の住居跡が多数みつかっており、早くから集落が形成されていたことがわかっている。 ...