古来「下之太子」と称ばれ、「上之太子」叡福寺、「中之太子」野中寺とともに河内三太子に数えられる聖徳太子ゆかりの古刹。この寺のある辺りはかつての渋川郡跡部郷で、物部守屋の別邸があったといわれる地域である。仏教を積極的に取り入れようとする蘇我氏(崇仏派)とそれに反対する物部氏(排仏派)との戦いがこの地で繰り広げられた。 ...

日ノ御埼を発ち、三尾浦まで戻る。集落の手前で左折し、由良方面へ進路をとる。しばらく走ると左手に広大な湿地帯が現れた。阿尾湿地(阿尾不毛)という汽水性の潟湖で、希少な動植物の生息地となっている。不毛【ふけ】というのは湿地を指す言葉だが(「アオ」も湿地を表すらしい)、耕作に適さないことから「不毛の地」の意味だろう。不毛どころか豊かな自然の残る素晴らしい場所だ。 ...

龍王神社の現在の祭神は豊玉彦神・猿田彦神となっている。このうち猿田彦はかつて日ノ御埼灯台付近にあった日ノ山御崎神社(和田浦の御崎神社から勧請)の祭神であり、明治四十二年(1909)に合祀されたもの。龍王神社本来の祭神は豊玉彦一柱である。 ...

御崎神社を後にし、日ノ御埼を目指して海岸線を西へ辿る。しばらく走ると三尾浦に到る。三尾はカナダへの移民が多く出た地域で、通称アメリカ村として知られる。三尾浦の東端、西に向かって突き出た龍王崎の断崖上、樹林の中に三尾地区の産土神、龍王神社が鎮座する。 ...

少し日が経ってしまったが、先月、なら燈花会へ行ってきた。毎年八月、春日大社や東大寺、興福寺を含む奈良公園一帯をろうそくの優しい光が照らす。平成二十六年(2014)は八月五日から十四日まで行われた。今年で十六年目、すっかり奈良の夏の風物詩として定着したようだ。スマートフォンで撮ったため碌な写真がないですがご勘弁。 ...

宇賀神像が特別公開されている喜光寺に参拝。例年七月の三日間のみの公開だが、今年に限り二ヶ月にわたって開帳されている。行基創建と伝え、また行基入寂の地でもある喜光寺は、阪奈道路の奈良側終点近くに建つ。まだ真新しい南大門を抜け、まずは本堂にお参りする。本堂及び本尊阿弥陀座像は国の重要文化財。 ...

今日七月七日は七夕。ほぼ全国的にあいにくの空模様のようで、今年は逢えそうにない織姫と彦星。ともあれ前記事に続いて七夕にまつわる神社をもうひとつ。奈良県道三〇号線(御所香芝線)から南阪奈道路の側道を大阪方面に少し上ると、耕作地の傍らにこんもりと木の繁った場所があり、一際背の高い木の前に質素な木製の鳥居が建っている。鳥居には「棚機宮」とある。ここが棚機神社で間違いないようだ。 ...

七月なので七夕にまつわる神社を。今や関西では七夕祭といえばこの神社というほど有名になったが、祭事が復活したのは昭和五十四年(1979)。長らく途絶えていたのを現宮司が甦らせた。機物神社の鎮座する交野ヶ原(枚方市・交野市にまたがる地域)は日本における七夕発祥の地ともいわれ、一帯には七夕にまつわる地名や伝説が正に星のごとくに散らばっている。 ...

平成二十六年(2014)六月二十三日から二十八日まで行われていた勝鬘院愛染堂の多宝塔内陣特別拝観・御開帳に行ってきました。多宝塔本尊の大日大勝金剛尊が大阪市の指定文化財となったのを記念しての特別企画です。毎年愛染まつりの時には本尊の御開帳が行われていますが、多宝塔内部に入って間近で見られるのはおそらく今回が初めてです。 ...

四天王寺は聖徳太子開基とされる、我が国における最古級の本格的仏教寺院。崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏との戦いにおいて、蘇我側の聖徳太子は四天王像を彫り、勝利の暁には四天王を安置する寺院を建てると誓願した。物部氏誅滅の六年後、太子は誓願通り四天王寺の建立に取り掛かる。金堂には聖徳太子の本地仏である救世観音と四天王が安置されている。 ...

山城国乙訓郡式内社十九座のひとつ。奈良時代初頭の創祀と伝わる。平安遷都以後は御所の裏鬼門除けとして祈願されて大いに信仰を集め、嘉祥三年(850)には正一位の神階を賜った。鳥居に掲げられた「正一位小倉大明神」の扁額は小野道風の筆になるという。この地は天正十年(1582)、羽柴秀吉軍と明智光秀軍が繰り広げた山崎の戦いの舞台。 ...

矢田寺を後にし、同じ大和郡山市矢田町にある東明寺を目指します。車一台がぎりぎり通れるくらいの細い山道を登っていきます。通常東明寺を拝観するには予約が必要ですが、平成二十六年(2014)六月一日から十五日の特別開帳期間に限り事前連絡なしで拝観できます。矢田寺と同等の由緒を持つ、矢田の地に古くからある名刹です。 ...