隣接する岩船寺の鎮守社として天平時代に創建と伝わる。岩船寺はそのルーツとなった寺院が天平に鳴川の地で創建、鎌倉時代に現在地に遷ったとされるので、白山神社もともに遷って来たということだろう。柿本人麻呂が社殿を造営し、行基が祭神を勧請したという。行基は岩船寺の前身寺院の開山とされているからわかるが、人麻呂が唐突に登場するのは何故だろう。 ...

あいにくの雨だったが、元日から一月十五日まで弁財天像・羅刹天像が公開されているというので岩船寺を訪れた。石段を上っていると一段と雨勢が強くなる。山門をくぐる。境内には他に人影はない。薄鈍色の風景の中で三重塔の朱が鮮やかに浮かび上がる。岩船寺は天平時代に行基により鳴川の地に建てられた阿弥陀堂をそのルーツとすると伝える。 ...

奈良佐保山を抜けて木津川の浄瑠璃寺や岩船寺に向かう際に何度か前を通り、気になっていた神社。浄瑠璃寺からの帰りに時間があったので寄った次第。鳥居をくぐると参道が真っ直ぐに延びている。舗装道だが苔むしていてなんとも雰囲気がある。創建は江戸時代初期。梅谷村は新田開発でできた新しい村で、おそらくはその鎮守として建てられたものだろう。 ...

毎年一月八日から十日、浄瑠璃寺の潅頂堂が開扉され、大日如来坐像等が公開される。一月十五日まで厨子が開かれている吉祥天女立像も合わせて拝してきた。藤原時代に流行し、多数建てられた九体阿弥陀堂が現存する唯一の寺。九体阿弥陀堂とはその名の通り九躯の阿弥陀仏を安置する仏堂で、極楽往生を願う者をその性質や行いによって九つの等級に分け、それぞれに対応する阿弥陀如来がいるとする九品往生の考えに基づく。 ...

十二月十六日は東大寺初代別当・良弁僧正の忌日法要の日。この良弁忌に合わせ、法華堂の執金剛神立像や開山堂の良弁僧正坐像(いずれも国宝)などが公開される。東大寺といえば言わずと知れた「奈良の大仏」の寺だが、今回の目当ては大仏殿ではない。一年でただの一日、十二月十六日にだけ厨子の扉が開かれる秘仏「執金剛神」を一目見るために、雨の奈良を訪れたのだ。 ...

ここ数年、正月に「いくたまさん」こと生國魂神社で干支朱印をいただくのが恒例になっている。平成二十七年は乙未【きのとひつじ】。毎年一月の間だけ受けることができる。神武天皇が難波の地に上陸した際、国土安泰を願い大八洲の国魂(日本国土に宿る神霊)たる生島・足島神を祀ったという古社。 ...

謹賀新年。平成二十七年(2015)最初の神詣では住吉大社となった。全国の住吉神社の総本宮、住吉大社。航海の安全を司る住吉大神の三神に神功皇后を併せ祀る。現在は海から少し離れているが、古代には神社の南側は住吉の細江と称ばれる入江が入り込んでいて、住吉津という港があり大いに繁栄した。 ...

久びさに羽曳野の誉田八幡宮にお参りしたら発見。『大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり』。大坂の陣400年天下一祭の一環で出版されたものです。大坂の陣の経緯や各地の戦闘の解説に加えて周辺寺社も紹介されており、御朱印をいただくページもあります。合戦場跡を巡りながら集印もできるという寸法。 ...

フィギュアスケートの羽生結弦選手と名前が似ているということでファンの聖地として一躍有名になった神戸の弓弦羽神社は、御影の閑静な住宅街の中に鎮座する。熊野三山の神、すなわち伊弉册(那智社)・事解之男(本宮)・速玉之男(速玉社)を祀り、根本熊野三所大神と称する。神功皇后は三韓征伐からの凱旋の途次、香坂皇子【かごさかのみこ】と忍熊皇子【おしくまのみこ】の兄弟が挙兵したとの報せを受ける。 ...

野中寺は丹比郡野中郷を本拠とする渡来系氏族の船氏により氏寺として建てられたとするのが有力だが、はっきりしたことは判っていない。寺伝によると、蘇我氏と物部氏が戦った丁未の乱の際に蘇我方の厩戸皇子(聖徳太子)が休息をとったのがこの地であり、後に太子の発願により蘇我馬子が建立したという。 ...

『西琳寺文永注記』によると、河内国古市郡に根拠を置く渡来系氏族、西文【かわちのふみ】氏の阿志高【あしこ】が欽明天皇御宇の己卯年に建立し、丈六の金銅阿弥陀仏を安置したとある。己卯年は欽明帝治世二十年(559)にあたる。一方で『日本書紀』に我が国最初の仏教寺院として記される向原寺【むくはらでら】をその起源とするともいう。 ...

道明寺は古義真言宗を奉ずる尼寺で、この地の豪族土師氏の氏寺であった土師寺をその前身とする。そもそもは土師氏の祖神、天穂日命を祀る神社があり、それに付属するような形で建てられたようだ。聖徳太子の発願により、土師連八嶋が自邸を寄進して創建されたと伝わる。かつては隣接する道明寺天満宮と一体であり、社殿と並んで本堂が建っていた。 ...