水都大阪を悠然と流れる淀川は、古来、畿内のみならず日本の政治・経済・文化の発展において非常に重要な存在だった。大阪平野を縦横無尽に広がる淀川とその支流は、京都と西国を結び、さらにはアジア諸国へと繋がる交通と物流の大動脈としての役割を担ってきた。 ...
金村神社〔葛城市大屋〕 古代大和のキングメイカーと鍛冶集団の痕跡
奈良県葛城市南部、旧新庄町にある屋敷山古墳は全長百三十五メートルの前方後円墳で、中世にはこの地の豪族布施氏によって墳丘を利用して城が築かれた。布施氏は屋敷山の二キロメートルほど西の山中にあった布施城を本城としたが、屋敷山の城は平時の居館として建てられたものという。 ...
大圓寺〔大阪市住吉区墨江〕 快慶作阿弥陀如来像特別公開
大阪市教育委員会による企画「大阪の歴史再発見」の一環として、大阪市内の寺院の非公開文化財が不定期で特別公開されている。去る平成三十年(2018)一月二十三日、住吉区墨江の大圓寺で本尊阿弥陀如来立像をはじめとする仏像群が公開されていたので参加して来た。 ...
羽曳が丘神社〔羽曳野市羽曳が丘西〕 あらゆるものに神は宿る
日本武尊は伊勢能褒野で客死するが、その魂は白鳥と化して、大和琴弾原に降り立ち、さらに飛んで河内古市に留まったのち、天高く翔け昇ったと『日本書紀』にいう。大阪府羽曳野市古市に鎮座し日本武尊を祀る白鳥神社の縁起には、天へと昇る姿を「埴生野の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」と記す。 ...
少彦名神社〔大阪市中央区道修町〕 戊戌歳御朱印拝受|自らの体で「治験」をおこなった神
薬の町として知られる大阪道修町の少彦名神社は、「神農さん」とも称ばれる。それは、道修町の唐薬種(清やオランダから輸入された薬の原料)を扱う中買仲間の会所に、古代中国の神農という神を薬祖神として祀ったのが ...
河内西国巡礼 第七番 壺井寺〔柏原市法善寺〕 雷を封じた観音さま
大阪府柏原市法善寺には、地名の由来となった法禅寺という寺院がかつてあった。法禅寺は神護景雲年間の創建と伝わり、七堂伽藍を備えた大寺だったが、天授年間の兵火で堂塔をことごとく失い廃寺となったという。 ...
泉州磐船神社(航空神社)〔泉佐野市上瓦屋〕 天空を守護するニギハヤヒの宮
大阪国際空港(伊丹空港)に次ぐ関西第二の国際空港を建設する計画が進められる中、神戸北野天満神社の宮司を務める佐藤家の次男として生まれた佐藤匡英氏は、新空港の守護神社創祀を思い立った。 ...
生國魂神社〔大阪市天王寺区生玉町〕 戊戌歳干支朱印拝受|八兵衛狸のはなし
元禄年間のこと、道頓堀の芝居小屋「中之芝居」に足しげく通う、三隅八兵衛なる侍がいた。この男、芝居好きの初老の武士ということを除いては素性がはっきりしない不思議な人物で、生玉神社の南の源聖寺坂辺りに住まいがあるという話もあるが、誰も詳しいことを知らない。 ...
池之原神社〔大阪狭山市池之原〕 街道を辿って来臨した熊野の神
四天王寺を起点として南にのびる下高野街道は、狭山池にぶつかって二つに分岐する。池の東側へ回り込めば中高野街道に合流し、西の道をとると岩室を経て西高野街道に合流する。また岩室で西高野街道から分岐する天野街道を進めば、女人高野といわれた天野山金剛寺に至る。 ...
天満宮〔堺市西区山田〕 村の鎮守の帰還
堺市立福泉中学校の南、山田公民館に隣接して小さな神社が建っている。北側から境内に足を踏み入れる。左手に一対の灯籠と石鳥居、そして西面する銅板葺屋根の社殿。境内の西半分は児童公園になっている。 ...
後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈後編〉
正平七年三月、足利義詮の軍勢は前月より南朝軍に制圧されていた京都を奪還。退却した南朝軍は後村上天皇の行在所がある男山八幡(石清水八幡宮)に籠り、足利軍を迎え撃った。 ...
後村上天皇陵〔河内長野市寺元〕 父帝の遺志を継いで戦い続けた「武闘派」天皇〈前編〉
高野山真言宗遺跡本山観心寺。役行者によって開かれ、弘法大師が道場としたその古刹には参拝客の絶えることがない。その中にあって、訪れる人の稀な、ひっそりと静寂に包まれた場所がある。 ...