Buon Pesce d'Aprile!

この記事は平成二十九年(2017)のエイプリルフールにアップしたものです。
『ジョジョの奇妙な冒険』、特に第八部『ジョジョリオン』を未読の方にはさっぱり意味不明の内容となっております。


杜王町の総鎮守

 M県S市紅葉区杜王町に鎮座する六壁神社は、飛鳥時代の創祀を伝える古社。

六壁神社
【むつかべじんじゃ】
鎮座地 M県S市紅葉区杜王町六壁坂
包括 単立
御祭神志波彦神【しわひこのかみ】
創建天智天皇六年(AD667)
延喜式神名帳陸奥國宮城郡 志波彦神社 名神大
社格等旧村社
別称/旧称陸奥壁明神


六壁神社

六壁神社



 杜王町はS市のベッドタウンとして発展してきた。
 町の南を流れる一小川いちおがわ流域を中心に縄文時代の住居跡が多数みつかっており、早くから集落が形成されていたことがわかっている。
 海岸沿いには伊達氏の治世以降武家の別荘や訓練所が建てられ、現在も別荘地として知られる。
 主要産業は観光とマイクロチップ部品製造。
 特産品は牛タンの味噌漬け。
 いわゆる平成の市町村大合併の際に杜王町はS市と合併、S市杜王区となったが、その後S市の区再編により紅葉区の一部となった。

 その杜王町の総鎮守として、同町北西部の丘陵地帯に六壁神社が建つ。
 通り沿いの一の鳥居から山の上に向かって長い石段がまっすぐにのびている。石段を上りきるとそこは静寂の杜。六壁神社の社殿がひっそりと鎮まる。境内には池があり、末社の厳島神社が祀られている。
 社伝によると創建は天智天皇六年(667)。祭神は志波彦神。式内名神大社志波彦神社の論社となっている。

志波彦神

 志波彦神は武甕槌神たけみかづちのかみ経津主神ふつぬしのかみの奥州平定を助けた神といわれ、一説に「シワ」とは「端」を表す言葉だという。即ち統治範囲の端ということで、朝廷の勢力圏が北へ広がるとともに「シワ」も移動していった。それを裏付けるように、東北各地に「シワ」という地名が残っている。六壁神社の鎮座地も、それら「シワ」の地の一つではないかと推測される。
 杜王町のある旧家には志波彦神とされる神像が伝えられているが、顔に縦の深い溝が幾筋も刻まれた奇怪な造形をしている。周辺の伝承では、志波彦神は岩のように硬い身体を持ち、身体中に縦皺がある醜い姿をしていたといわれる。シワヒコの名もその皺に由来するという。

六壁の名の由来

「六壁」という社名の由来はわかっていない。
 ただ鎮座地の「六壁坂」はM県北部の六壁坂村との何らかの関連が考えられる。
 荒木飛呂彦氏は徹底したフィールドワークによって民俗伝承に迫った名著『岸部露伴は動かない』において、六壁坂という地名について「それにしても『六壁坂』というネーミングはなぜ『六壁坂』にしたのだろうか? 全然記憶がないんです。スミマセン。本当にヤバイ」と述べている。
 前述のように、勢力圏の端、最前線であることから志波彦神が祀られたのだとすれば、文字通り「陸奥むつの壁」を表すとも考えられる。事実、坂上田村麻呂によって砦が築かれたという伝承もある。

ジョースター地蔵

 六壁遊歩道(通称カツアゲロード)に「ジョースター地蔵」という奇妙な名の地蔵菩薩像が安置されている。
 これはアメリカ人騎手ジョナサン(ジョニィ)・ジョースターの霊を慰めるため、明治三十五年(1902)に祀られたもの。
 ジョースターは政府の要請で馬術指導のため来日していた。明治三十四年(1901)十一月十一日、六壁神社付近の街道を騎馬で通行中、丘陵からの落石が不運にも直撃し、命を落とした。
 地蔵は今も地元の人びとによって大切に守られている。

六壁神社 御朱印

六壁神社 御朱印



 六壁神社には神職が常駐していないが、御朱印は鳥居前の大郷味噌店杜王支店でいただける。但し書き置きのみで、四月一日限定。


参考文献:
◇荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 29』 集英社 1992
◇荒木飛呂彦「デッドマンズQ」『死刑執行中脱獄進行中 荒木飛呂彦短編集』 集英社 1999
◇荒木飛呂彦『ジョジョリオン 1』 集英社 2011
◇荒木飛呂彦『ジョジョリオン 5』 集英社 2013
◇岸辺露伴/荒木飛呂彦『岸辺露伴は動かない』 集英社 2013
◇荒木飛呂彦『ジョジョリオン 11』 集英社 2015
◇荒木飛呂彦「ジョジョリオン #60」『ウルトラジャンプ 2017年1月号』 集英社 2016

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