上石津のえべっさん

 旧和泉国大鳥郡上石津かみいしづ村の産土神である石津神社は、小栗判官おぐりはんがんが土車に乗って熊野を目指したという小栗街道沿いに社地を構えている。
 最古のえびす神社と称するこの神社の創祀伝承は遥か神代に遡る。恵美酒えびす大神がこの地に降臨し、携えて来た五色の石を置いたのが始まりで、その故事により「石津」の地名が生まれたという。
 その後、第五代孝昭天皇七年(BC469)八月十日に、勅によって恵美酒大神を奉祭する社殿が建てられた。
 五色の神石は地中に埋められており、天変地異の時には地上に浮き上がると伝えられている。

石津神社 鳥居

石津神社 鳥居



石津神社
【いしづじんじゃ】
鎮座地大阪府堺市堺区石津町一丁石津15-21
包括神社本庁
御祭神八重事代主神【やえことしろぬしのかみ】
大己貴神【おおなむちのかみ】
天穂日神【あめのほひのかみ】
誉田別神【ほむたわけのかみ】(相殿)
伊邪那美神【いざなみのかみ】(相殿)
白山比売神【しらやまひめのかみ】(相殿)
水分神【みくまりのかみ】(相殿)
高野神【たかののかみ】(相殿)
高龗神【たかおかみのかみ】(相殿)
創建孝昭天皇七年(BC469)
延喜式神名帳和泉國大鳥郡 石津太社神社
社格等旧村社
別称/旧称戎神社 蛭児社 石津大社 陸の戎


石津神社 拝殿

石津神社 拝殿



 明治五年(1872)に村社に列し、同四十年(1907)神饌幣帛料供進社に指定されている。
 祭神は八重事代主神・大己貴神・天穂日神。
 事代主は大己貴おおなむち大国主おおくにぬし)の子で、父神の国譲りの際に釣りをしていたことから、海から来る神である戎神と同一視されるようになった。
 天穂日はこの地に盤踞ばんきょした石津連いしづのむらじの祖神。天穂日十四世の子孫である野見宿禰のみのすくねが石津社の神主を務めたと社伝にいう。その後裔を称する石津(陸野)氏が上石津村字観音寺に住み、代代石津神社の社家であった。
 他に誉田別神を始めとする六柱を配祀する。これは明治四十二年(1909)に合祀した旧いち村字北町の村社六所神社の祭神。

 境内社に野見宿禰社・天満宮・猿田彦さるたひこ社、及び神木の傍らに祭神不明の小祠がある。
 野見宿禰社は初代神主とされる野見宿禰が祭神で、石津王と猿田彦を相殿に祀る。石津王は紀伊守藤原石津ふじわらのいしづのことで、臣籍降下して藤原朝臣ふじわらのあそん姓となり、藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ恵美押勝えみのおしかつ)の養子となった人物。

石津神社末社 野見宿禰社と天満宮

石津神社末社 野見宿禰社と天満宮



石津神社末社 猿田彦社

石津神社末社 猿田彦社



石津神社 神木と小祠

石津神社 神木と小祠



 社殿の横に「祈願板」と称するものが吊るされている。戎神は耳が遠いため、この板を木槌で叩いてから願い事を唱えるのだという。

石津神社 祈願板

石津神社 祈願板



 石津神社の戎講は南脇・北脇・西脇の三地域に分かれ、それぞれ三十八戸・四十戸・三十三戸の座筋で構成されていたが、大正元年(1912)に廃絶している。

陸のえべっさん

 石津神社は、旧下石津村の石津太いわつた神社とともに、延喜式神名帳にある石津太社神社(石津太神社)の論社となっている。
 下石津の「浜のえびす」に対して、上石津の石津神社は「陸のえびす」と称ばれた。
 明治時代、どちらが式内社であるか、両社の間で争論となっている。
 下石津村石津太神社側の主張によると、「上石津村は下石津村から分かれた枝村であり、元は上下両村とも同社の氏子であったのを、いつの頃からか上石津にも蛭子神を祀る石津神社を建て、式内社を僭称するようになった。これは不当であるから、下石津の社が本社であることを明らかにして欲しい」という陳情が堺県・大阪府に対して幾度か出されたことが記録に残っている。



 元文二年(1737)の十日戎において社殿復興の勧進帳に添えられたものとみられる略記に「石津大社上下両宮 神主石津茂基」の署名がある。陸野飛騨守茂基は石津連の後裔で、寛保三年(1743)従六位下に叙されている人物。この署名からわかるのは、江戸時代には陸野氏が上下石津両社の宮司であったらしいということだ。石津村が上下に分村した際、本社の鎮座する方からもう一方に分霊され、両社とも陸野家が奉祭したものとみられる。
 明治になって陸野家が社家でなくなり、両社の紛争へとつながったのだろう。

石津神社 石標 「日本笑姿初石津大社」

石津神社 石標 「日本笑姿えみす初石津大社」



 前述のように、陸野の邸は上石津にあった。そのことからすると上石津社が本社ではないかとも考えられるが、下石津側の強い陳情を見ると、そう断じるのは早計なようにも思える。
 結局のところ、どちらが本社なのかは確証がなく、わからないという他ない。
 現在もそれぞれが式内を称し、本邦初の戎社の名を掲げている。

石津神社 御朱印

石津神社 御朱印




参考文献:
◇度会延経『神名帳考証』 松岡雄淵書写(西尾市岩瀬文庫所蔵) 1760
◇栗田寛『神祇志料 巻之十』 温故堂 1886
◇鈴鹿連胤(撰)『神社覈録 上編』 皇典講究所 1902
◇伴信友「神名帳考証」『伴信友全集 第一』 国書刊行会 1907
◇井上正雄『大阪府全志 巻之五』 大阪府全志発行所 1922
◇教部省(撰)『特選神名牒』 磯部甲陽堂 1925
◇太田亮『和泉』(日本国誌資料叢書) 磯部甲陽堂 1925
◇大阪府学務部(編)『大阪府史蹟名勝天然記念物 第四冊』 大阪府学務部 1929
◇蘆田伊人(編)『大日本地誌大系 第十八巻 五畿内志・泉州志』 雄山閣 1929
◇小葉田淳(編)『堺市史 続編 第一巻』 堺市役所 1971
◇小葉田淳(編)『堺市史 続編 第四巻』 堺市役所 1973
◇式内社研究会(編)『式内社調査報告 第五巻 京・畿内 5』 皇學館大学出版部 1977
◇永野仁(編)『日本名所風俗図会11 近畿の巻I』 角川書店 1981
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典27 大阪府』 角川書店 1983


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