大陸の空気
承応三年(1654)明国の臨済僧隠元隆琦が我が国に伝えた黄檗禅は、浄土教の影響を受けた念仏禅を掲げ、明朝様式の伽藍と法式を受け継いだ独自色の強い宗派だ。旧丹南郡今井村(現堺市美原区今井)、西除川の東に大陸の匂い漂う伽藍を構える大寶山法雲禅寺は、黄檗宗中本山格の名刹。
河内西国巡礼 第六番 大寶山法雲寺 【だいほうざんほううんじ】 | |
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所在地 | 大阪府堺市美原区今井192-甲 |
宗派 | 黄檗宗 |
御本尊 | 釈迦如来 薬師如来 阿弥陀如来 |
札所御本尊 | 観世音菩薩(掘出観音) |
創建 | 寛文十二年(AD1672) |
開山 | 慧極道明禅師 |
別称/旧称 | 神福山長安寺 |
御詠歌 | にごりなきいまいのみずにかげうつしのりもくもらんつきぞさえけり |
法語: | 波羅密多 |
法雲寺の前身は弘法大師開山を伝える神福山長安寺という真言宗寺院だったが、元和六年(1620)狭山池の堤防決壊による西除川氾濫で堂宇を流失した。
その後、曹洞宗の僧宗月(『大阪府全志』は素月とする)が長安寺を今井村より譲り受ける。寛文十一年(1671)に宗月は霊夢を得、竹林の土中より観音像を掘り出して草庵に安置したという。
翌寛文十二年(1672)、宗月は檀徒と相談の上、黄檗宗開祖隠元の弟子にして黄檗三傑のひとり、慧極道明に来住を乞い、寺を委譲した。現在の寺号に改めたのは延宝二年(1674)のことだ。慧極はおよそ三十年をかけて諸堂を整備し、今日の伽藍の基盤を築いた。
元禄十年(1697年)には狭山藩主北条氏朝の帰依を受け、以後北条家の菩提寺として大いに隆盛した。
龍の伽藍
山門をくぐり進むと最初に現れるのが天王殿。でっぷりと肥えた腹を露わにして破顔する布袋尊の像が安置されているが、札には弥勒菩薩と書かれている。これは我が国では黄檗宗以外に見られない仏堂で、黄檗宗大本山萬福寺にも同じものがある。河内西国四番龍雲寺でも布袋の姿をした弥勒菩薩像が本堂前に安置されていた。唐代末期に実在したとされる布袋は中国では弥勒菩薩の化身と考えられており、天王殿は中国の仏教寺院ではよく見られる。天王殿の名は四方に四天王を安置することによる。天王殿を過ぎると、菱に並んだ敷石が大殿(本堂)へ向かってのびている。この敷石も黄檗宗独特のもので、龍の背の鱗に見立てているのだという。伽藍全体が龍の姿を表しているわけだ。龍は仏法守護の象徴であり、とりわけ禅宗では重要視される。
大殿の手前で左へ折れると大きな観音像。高さは台座を含めて約十メートル。
大殿には釈迦如来を中心に薬師如来と阿弥陀如来の三尊が本尊として安置されている。そしてその背後には金箔を施された無数の小さな仏像が見える。三尊と合わせて三千三百三十三体あるという。これは過去・現在・未来にそれぞれ一千体の仏が出現するという三劫三千仏思想を表したもの。貞享元年(1684)に大坂の富豪今津浄水が寄進した。
大殿の裏には狭山藩北条家の墓所があり、また耀先殿には北条家の位牌を祀る。
耀先殿と並んで建っているのは慧極禅師の像を安置する開山堂。
大正十一年(1922)刊行の『大阪府全志』によると、法雲寺には本堂・禅堂・斎堂・長生閣・凌雲室・客寮・庫裏・方丈・廊下・土蔵・鐘楼・門・開山堂・弁天堂・祀堂・観音堂・耀先殿があったという。いくつかの堂宇は現存していない。
河内西国の札所本尊である観音像を安置していた観音堂も、今はない。
掘出観音と俗称されるその観音像は、前述したように宗月という曹洞僧が夢で感得して地中から掘り出したものと伝えられる。陶製で像高二十センチメートル程の小さなもの。秘仏となっている。
参考文献:
◇井上正雄『大阪府全志 巻之四』 大阪府全志発行所 1922
◇角川日本地名大辞典編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典27 大阪府』 角川書店 1983
◇『やすらぎの古里 河内西国巡礼 こころの散策ガイド』 河内西国霊場会 2003
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