ここ数年、正月に「いくたまさん」こと生國魂神社で干支朱印をいただくのが恒例になっている。
 平成二十七年は乙未【きのとひつじ】。
 毎年一月の間だけ受けることができる。

◆生國魂神社 干支朱印 乙未歳
生國魂神社 干支朱印 乙未歳




生國魂神社
【いくくにたまじんじゃ】


鎮座地: 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9

包括: 神社本庁

御祭神:
生島大神【いくしまのおおかみ】
足島大神【たるしまのおおかみ】
大物主大神【おおものぬしのおおかみ】(相殿)

創建: 神武天皇即位前紀己未年(BC663)

創祀: 神武天皇

延喜式神名帳: 攝津國東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗

社格等: 旧官幣大社 別表神社

別称/旧称: 生玉神社 難波大社


◆生國魂神社 拝殿
生國魂神社 拝殿

 神武天皇が難波の地に上陸した際、国土安泰を願い大八洲の国魂(日本国土に宿る神霊)たる生島・足島神を祀ったという古社。
 当初の鎮座地は現在の大阪城付近だという。北は大阪城の辺りから南は住吉付近まで、十キロメートル余りに渡って南北に連なる丘陵地帯を上町台地と称するが、古代にはこの上町台地は東西北の三方を海に囲まれ半島となっていた。半島の北の突端の難波碕(石山碕)が創祀の地というわけだ。
 明応五年(1496)に本願寺宗主蓮如が旧鎮座地付近に寺坊を建てる。世に言う石山本願寺である。寺域の拡大に伴い生國魂神社は傍らに追いやられ、尚且つ本願寺内に取り込まれるような形になったようだが、窮状を見かねたのか、永禄元年(1558)正親町天皇の勅により社殿が新たに造営されている。相殿神の大物主は以前より境内に祀られていたが、この時に本殿に配祀されたと伝わる。その後織田信長の本願寺攻めにより社殿は焼失。
 現在地に遷座するのは天正十三年(1585)のことである。豊臣秀吉が石山本願寺跡地に大坂城を築くにあたり、現在地に遷って来て社殿を構えた。
 遷座後も大坂城内に小祠が残されたともいわれ、また生國魂神社の神木と伝わる松が後世まで残っていたらしい。現在、大阪城南西の角、大手門近くに生國魂神社お旅所跡と称する場所がある。お旅所自体は昭和七年(1932)に造られたものだが、この辺りが旧鎮座地だったのではないだろうか。

 ところで、谷川健一『白鳥伝説』に興味深い記述があるので引用する。
「勝井純という人の『神武天皇御東遷聖蹟考』によると、古図に現在の大阪城所在地にはニギハヤヒを祭神としていた磐船神社の所在したことが記されているという。このことは今は確かめるすべはないが、今日の四天王寺の北に磐船神社の所在の記されている古図のあることはたしかである」
 一説にはこの磐船神社が生國魂神社の前身ではないかとも、あるいは相殿配祀された大物主神を祀っていた社ではないかともいわれる(大物主は饒速日としばしば同一視される)。
 ニギハヤヒの話をしだすと長くなってしまうのでこの辺で。いずれ物部氏とその祖神ニギハヤヒについてじっくり書く機会もあるだろう。

 それにしても干支朱印、自分の代で六十年分全ていただくのは無理だなあ。息子に受け継がせねばなるまい。


参考文献:
◇谷川健一『白鳥伝説(上)』 小学館ライブラリー 1997


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白鳥伝説(上)
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白鳥伝説(下)
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