十二月十六日は東大寺初代別当・良弁僧正の忌日法要の日。この良弁忌に合わせ、法華堂の執金剛神立像や開山堂の良弁僧正坐像(いずれも国宝)などが公開される。

◆東大寺 法華堂
東大寺 法華堂

東大寺
【とうだいじ】


所在地: 奈良県奈良市雑司町406-1

宗派: 華厳宗

御本尊:
毘盧舎那仏

創建: 神亀五年(AD728)

開基: 聖武天皇

開山: 良弁僧正

寺格等: 華厳宗大本山 大和国分寺 総国分寺 南都七大寺

別称/旧称: 金光明四天王護国之寺 金光明寺 金鐘山寺 金鍾寺 金鷲寺 金熟寺


◆東大寺 大仏殿中門
東大寺 大仏殿中門

 東大寺といえば言わずと知れた「奈良の大仏」の寺だが、今回の目当ては大仏殿ではない。一年でただの一日、十二月十六日にだけ厨子の扉が開かれる秘仏「執金剛神」を一目見るために、雨の奈良を訪れたのだ。
 どうしてもはずせない用を午前中に済ませてから駆けつけた時には、時計は既に午後二時を回っていた。しかも夕方には大阪に戻らねばならない。駆け足での参拝となった。

 南大門をくぐり、突き当たった大仏殿の中門前を東へ折れ、石畳の道を登る。丘の上の上院と称ばれる一画に執金剛神立像が安置されている法華堂はある。三月堂という通称の方が通りが良いかもしれない。

東大寺 法華堂
【とうだいじ ほっけどう】


所在地: 奈良県奈良市雑司町

宗派: 華厳宗

御本尊:
不空羂索観世音菩薩

創建: 天平五年(AD733)

開山: 良弁僧正

別称/旧称: 三月堂 羂索堂


◆東大寺 法華堂
東大寺 法華堂

 三月堂の名は旧暦三月に法華会が行われたことが由来とされており、東大寺でもそう説明しているが、実際には法華会が行われたのは三月ではないらしい。二月に修二会(お水取り)が行われる二月堂、四月に法華三昧行が行われた四月堂(三昧堂)との対応で間の三月を採ってそう称するようになったというのが真相のようだ。
 法華堂は東大寺に現存する諸堂のうちで最も古い建造物だという。
 神亀五年(728)、聖武天皇は幼くして亡くなった我が子の菩提を弔うために金鐘山房(金鐘寺)を建立、良弁をはじめ九人の僧侶を住持させる。その金鐘寺こそが東大寺の前身となった寺院である。
 東大寺の記録によると、法華堂は金鐘山房発願から五年後の天平五年(733)、良弁により不空羂索観音を本尊として創建された。金鐘寺における主要な堂宇の一つだったと見られる。

 前回の訪問時には修復中で拝観が叶わなかった法華堂。拝観受付に御朱印帳を預け、入堂する。
 本尊不空羂索観音を中心に諸尊が配置されている。一部の仏像は三年前に東大寺ミュージアムに移されたが、今も十分に見応えがある。
 本尊の背後にまわると人集りができている。執金剛神はそこに、本尊と背中合わせに立っていた。
 人波がなかなか動かず、一向に秘仏の前に辿り着けない。立ち止まらないよう促す警備員の声が堂内に響く。

 この執金剛神像は良弁の念持仏であったと伝わる。良弁忌に開扉されるのもそのいわれからだ。
『日本霊異記』には良弁を指すと思われる金鷲なる優婆塞(在家の仏道修行者)とこの像にまつわる説話が収められている。
 金鷲優婆塞は山寺に執金剛神像を安置し、日夜拝んで修行に励んでいた。ある時像が光を放ち、宮中の聖武天皇まで届いて、優婆塞の存在は帝の知るところとなる。帝は優婆塞の精進を認め、正式に得度を許した。霊験あらたかなこの執金剛神像は東大寺羂索堂の北戸に祀られている。要約するとこんなところだ。
『日本霊異記』の著された平安初期には既に現在と同じ位置、本尊の背後に北面して執金剛神は安置されていたことがわかる。そしてこの像が良弁ゆかりのものとする伝承も既にあったわけだ。

 人波が少しずつ流れ、やっと像の前まで辿り着く。少し高い場所に安置されていて、下から見上げて拝する形になる。
 なるほど、確かに彩色がよく残っている。像高はおよそ百七十センチメートル、ほぼ等身だが、こうして見てみると思っていたより小さい印象を受ける。そして意外と細マッチョ。もっとムキムキの印象があったが。腕の浮き出た血管は下からでもよく見えた。蜂と化して平将門を刺したという髪の元結の欠損部分は確認することができなかった。

 人混みが苦手なものだからどうにも落ち着かないし、時間も限られているので、気の済むまでじっくり見るという訳にはいかないままその場を後にする。
 預けていた御朱印帳を受け取り、法華堂を出る。いただいた御朱印の墨書は「秘佛 執金剛神」。この日だけの限定。

◆東大寺法華堂 執金剛神 御朱印
東大寺法華堂 執金剛神 御朱印

 次に向かうのは開山堂。こちらも一年でこの日だけ門が開かれ、良弁僧正の像が公開される。
 執金剛神のような行列にはなっておらず、スムーズに拝することができた。僧正の精悍な顔つきはどことなく高倉健に似ていた。
 開山堂には大和三名椿のひとつ「糊こぼし」があるのだが、確認するのを忘れてしまった。

◆東大寺 開山堂 門
東大寺 開山堂 門

 続いて鐘楼のある広場に下り、良弁忌に合わせて開扉されている俊乗堂へ。東大寺再興に尽力した俊乗房重源上人の像(国宝)および阿弥陀如来像・愛染明王像(ともに国重文)が安置されているお堂だ。
 力強さの漲る良弁像とは対照的に、重源像はいかにも老僧然とした姿。刻み込まれた皺、眼の窪み、筋張った首など、徹底的にリアル。偉大な名僧のイメージから喚起される理想を表現した良弁像に対し、高僧の遺徳を偲び、まさに生き写しを造るべく写実にこだわった重源像、といった感じか。
 俊乗堂は七月五日の俊乗忌にも公開される。

◆東大寺 俊乗堂
東大寺 俊乗堂

 それにしても東大寺はとにかく広い。そしていつ来ても、こんな雨の日でも人で溢れている。
 さて、間もなく午後四時。急いで帰らないと。


大きな地図で表示

このエントリーをはてなブックマークに追加