こよみ 小雪 初候 第五十八候 虹蔵不見 にじかくれてみえず

尼崎の櫻井神社は尼崎藩主であった櫻井松平家の祖信定公を祀る霊社として、旧藩士を中心とする結社「信愛社」有志により創建された。明治十三年(1880)五月に署名活動を始める。当時の櫻井家当主にして尼崎藩最後の藩主櫻井忠興は神社奉斎に反対していたが、尼崎城中で祀っていた信定公の神璽を元家老の堀家で預かり引き継いで奉斎していて、その継続という形で諒解を得た。 ...

大阪府和泉市の寺田神明神社は、和泉国和泉郡寺田村の産土神として同村字井戸田に鎮座していた。天照皇大神・天児屋根命(春日大神)・品陀別命(八幡大神)を祀る。江戸時代の村明細帳には「天照大神社」とある。宮寺は無かったようだ。氏子が輪番で神主を務めていた。明治に入り、神明神社の名で村社に列する。 ...

高塚山の麓を発して和泉市内を北流する松尾川。その流域を松尾谷と称ぶ。松尾谷は古くから開けた土地で、その中でも最初に人びとが住み始めたのは、かつての和泉国府にも近い谷北部であった。六世紀頃には物部支族の韓国連【からくにのむらじ】がこの地に勢力を伸ばし始めたという。彼らが拠点とした唐国の北隣に位置する箕形の地に、八坂神社が鎮座する。 ...

和泉市春木町に鎮座する春木春日神社は、古来松尾谷諸村の総鎮守といわれ、奈良時代の創建を伝える古社。中世、松尾谷の一帯は春木荘と称して奈良春日大社の荘園となっており、その鎮守社として勧請されたものとみられる。口碑によると、往時この地に住した物部系氏族の韓国連【からくにのむらじ】が祖神を祀り「物部布留神社」と称したが、 ...

西国三十三所観音巡礼は、およそ千三百年の歴史を持つといわれる日本最古の巡礼行。紀伊・和泉・河内・大和・山城・近江・丹波・摂津・播磨・丹後・美濃の十一ヵ国、現代の行政区分でいうと和歌山・大阪・奈良・京都・滋賀・兵庫・岐阜の七府県にまたがる三十三の観音霊場を巡拝する。 ...

太古、大阪平野はその殆どが海に覆われていた。東は生駒山地、北は千里丘陵、南は河内台地と泉北丘陵に至るまで遠浅の海が入り込み、河内湾を形成していた。そして西には現在「上町台地」と称する半島状の地形が南から北に向かって河内湾に蓋をするように延びていた。その半島の北の突端「難波碕」が生國魂神社の当初の鎮座地だった。今の大阪城の辺りだ。 ...

大阪北浜エリアの道修町【どしょうまち】。ひしめくオフィスビルの谷間に、薬の神を祀る少彦名神社が鎮座している。道修町は江戸時代初期より薬の町として知られ、今も多くの薬品会社がオフィスを構える。寛永年間(1624~1645)、堺の小西吉右衛門が将軍徳川秀忠の許しで道修町一丁目に薬種屋を開いたのに始まり、その後享保七年(1722)に幕府が道修町の薬種商百二十四軒を株仲間として認可、清やオランダからの輸入薬(唐薬種)の独占販売権を得た。 ...

生國魂神社の境内末社のひとつに鴫野神社がある。祭神は市寸島比賣神と大宮賣神、そして淀姫神。元は大坂城の北東、鴫野村の弁天島という川の中州に祀られていた。弁天島は今「大阪ビジネスパーク(OBP)」と称ばれている辺り。弁天社は片町橋南詰東側の竹藪の中にあった。女性の心願成就、縁結びや悪縁切りに霊験あらたかと評判が高く、巳の日にはお参りする人が群れをなしたと伝わる。 ...

海石榴市【つばいち】は現在の桜井市金屋付近にあった我が国最古といわれる市場で、奈良の都へ続く山の辺の道、飛鳥へ通じる磐余の道、大和と伊勢を結ぶ初瀬街道、二上山へと延び竹内街道につながる横大路といった幹線道路が交錯し、大和盆地を横断して河内に注ぐ大和川水運の終着点でもあり、「海柘榴市の八十【やそ】の衢【ちまた】」と万葉歌に詠われた交通の要衝だった。 ...

旧和泉国大鳥郡上石津村の産土神である石津神社は、小栗判官が土車に乗って熊野を目指したという小栗街道沿いに社地を構えている。最古の戎神社と称するこの神社の創祀伝承は遥か神代に遡る。 恵美酒大神がこの地に降臨し、携えて来た五色の石を置いたのが始まりで、その故事により「石津」の地名が生まれたという。その後、第五代孝昭天皇七年(BC469)八月十日に、勅によって恵美酒大神を奉祭する社殿が建てられた。 ...