こよみ 白露 末候 第四十五候 玄鳥去 つばめさる

聖徳太子が平群郡額田部(現大和郡山市)に開いたと伝える学問道場「熊凝精舎」が起源とされ、それをもって開創とする。その後幾度かの変遷を経て、平城京遷都後に現在の地に建立。かつては南都七大寺に数えられた屈指の大寺だった。七大寺にはいくつか説があるが、大安寺・東大寺・興福寺・元興寺・薬師寺・西大寺・法隆寺とするのが一般的。 ...

町村制施行により、明治二十二年(1889)、衣摺村・北蛇草村・南蛇草村・大蓮村・柏田村・金岡新田・吉松新田の七ヶ村が合併して長瀬村となる。神社合祀政策のもと、いわゆる一村一社の原則が掲げられるのに伴い、明治四十一年(1908)、長瀬村内の八つの神社を合祀することが決まり、大正元年(1912)、長瀬村の総鎮守として衣摺字外島に長瀬神社が創建された。 ...

河内国渋川郡式内社六座のうちの一座。「ハムコソ」とは不思議な響きの社名である。「ハム」は蛇、「コソ」は社の義だという。蛇神を祀る社ということか。一説にヘビの語源は「食む【はむ】」で、ハブやハミ(マムシ)、ハモ等も同根の言葉だといわれる。蛇が口を大きく開いて獲物を呑み込む様は確かに印象的だ。 ...

伴林氏神社は延喜式神名帳に名を連ねる古社で、その名の通り、大伴氏の支族である林宿禰が奉斎した神社。大伴氏の祖神である道臣命、その三代前の天押日命、さらに五代前の高皇産霊神を祀る。軍事を司った大伴氏の祖神を祀るということで戦時下ににわかに注目され、昭和十七年(1942)には府社に昇格。「西の靖国神社」とも称されたという。 ...

平安時代に編纂された『延喜式』の中に『神名帳』という、当時朝廷の管轄下にあった神社の一覧がありまして、そこに記されている神社、またはその後裔とされている神社を式内社と称びます。恩智神社はそのうちの一社で、「恩智神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」と神名帳に記されています。全ての式内社は年に一度の祈年祭に朝廷から幣帛(捧げ物)を受けていました。 ...