【こよみ】春分 初候 第十候 雀始巣 すずめはじめてすくう

井伊家ゆかりの社寺めぐり(井伊家ゆかりのふく福めぐり)は、「十徳果報を授かる」という謳い文句で、彦根市内を中心とする十ヶ所の社寺史跡を巡る巡礼として平成二十一年(2009)に始まった。翌年には新たに三ヶ寺が加わって十三ヶ所となり、その後さらに湖東三山と称ばれる三ヶ寺も追加され、現在は十六ヶ所となっている。 ...

急な出立だった。明日の朝、この村を出て三重谷へと向かう手筈になっていたので、道中召し上がっていただこうと村人たちは夕刻から餅米を蒸し、小豆を炊いてぼた餅を作る準備をしていた。それが急遽夜のうちに出発することになり、仕方ないので蒸しあがったばかりの米に小豆を投入して軽く混ぜ、丸めて竹皮に包むことにした。日下部連使臣と吾田彦の父子が一人の女性とその子である二人の幼い兄弟を連れて村を訪れたのはつい半月程前のことだ。 ...

むかし、丹後の比治の里のはずれに和奈佐翁という老狩人とその妻が住んでいた。夫婦は貧しく、その日その日を慎ましく暮らしていたが、子供のいない二人にとってはそれで不足はなかった。いつものように翁が山で獲物を探していると、空を横切るいくつかの影が視界に入った。鳥かと思ったが、それにしては大きい気もする。比治山の頂近くに「真奈井」と称する清水の湧く泉がある。影はその辺りに降りて行ったようだ。 ...

崇神天皇五年、疫病が流行して民の半数以上が死亡するという事態が訪れる。翌年になっても収まる気配はなく、土地を離れて流浪する者、反逆する者が相継ぎ、政が立ち行かなくなった。天皇が天神地祇に伺いを立てたところ、当時宮中に天照大神【あまてらすおおみかみ】と倭大国魂【やまとおおくにたま】を並祭していたのだが、両神が共に住んでいることに問題があるのだという。 ...

泉州松尾寺は「松尾の山寺」と称ばれ、最盛期には寺坊三百六十余を数えたという一山寺院。今やその面影はなくひっそりとした境内を、本堂や不動堂を過ぎて奥へ進むと、古びた石鳥居が現れる。ここから先は松尾寺春日神社の神域。松尾寺春日神社は四所明神の名で松尾寺の鎮守神として同寺に祀られていたものだが、神仏分離によって切り離された。 ...

尼崎の櫻井神社は尼崎藩主であった櫻井松平家の祖信定公を祀る霊社として、旧藩士を中心とする結社「信愛社」有志により創建された。明治十三年(1880)五月に署名活動を始める。当時の櫻井家当主にして尼崎藩最後の藩主櫻井忠興は神社奉斎に反対していたが、尼崎城中で祀っていた信定公の神璽を元家老の堀家で預かり引き継いで奉斎していて、その継続という形で諒解を得た。 ...

大阪府和泉市の寺田神明神社は、和泉国和泉郡寺田村の産土神として同村字井戸田に鎮座していた。天照皇大神・天児屋根命(春日大神)・品陀別命(八幡大神)を祀る。江戸時代の村明細帳には「天照大神社」とある。宮寺は無かったようだ。氏子が輪番で神主を務めていた。明治に入り、神明神社の名で村社に列する。 ...

高塚山の麓を発して和泉市内を北流する松尾川。その流域を松尾谷と称ぶ。松尾谷は古くから開けた土地で、その中でも最初に人びとが住み始めたのは、かつての和泉国府にも近い谷北部であった。六世紀頃には物部支族の韓国連【からくにのむらじ】がこの地に勢力を伸ばし始めたという。彼らが拠点とした唐国の北隣に位置する箕形の地に、八坂神社が鎮座する。 ...

和泉市春木町に鎮座する春木春日神社は、古来松尾谷諸村の総鎮守といわれ、奈良時代の創建を伝える古社。中世、松尾谷の一帯は春木荘と称して奈良春日大社の荘園となっており、その鎮守社として勧請されたものとみられる。口碑によると、往時この地に住した物部系氏族の韓国連【からくにのむらじ】が祖神を祀り「物部布留神社」と称したが、 ...

西国三十三所観音巡礼は、およそ千三百年の歴史を持つといわれる日本最古の巡礼行。紀伊・和泉・河内・大和・山城・近江・丹波・摂津・播磨・丹後・美濃の十一ヵ国、現代の行政区分でいうと和歌山・大阪・奈良・京都・滋賀・兵庫・岐阜の七府県にまたがる三十三の観音霊場を巡拝する。 ...