【こよみ】小満 次候 第二十三候 紅花栄 べにばなさかう

道は、人が往来し、物資や文化をもたらすとともに、時には疫病のような災厄も運んで来た。悪しきモノの侵入を防ぐため、辻や村境に神が祀られ、「道切り」が行われた。その神は「道祖神【どうそじん】」「道陸神【どうろくじん】」「塞神【さえのかみ】」など様様な名で称ばれる。 ...

毎年四月十七日と十八日の二日間、大阪府河内長野市の観心寺において、秘仏如意輪観世音菩薩(国宝)の厨子が開扉される。平成二十九年(2017)四月十八日、仕事の休みが合い、念願のその姿を拝むことができた。観心寺は役行者が修行道場として開いたと伝えられる古刹。 ...

湊川神社の鎮座地は楠木正成が最期を迎えた場所と伝わる。境内の西北隅に、玉垣で囲われ門が設えられた一角がある。石標には「史蹟 楠木正成戦歿地」と刻まれている。この場所こそ、延元元年(1336)五月二十五日、楠木正成が将士七十余人とともに殉節を遂げた地だという。 ...

湊川神社は南北朝時代の英雄楠木正成を祀る霊廟として明治五年(1872)に創建された。南朝方に属した皇族や武将を祭神とする建武中興十五社の一つであり、国家の為に功労のあった人臣を祀る神社の社格として設けられた別格官幣社に列した最初の神社。また生田神社・長田神社という二つの古社とともに神戸三社に数えられる。 ...

永井信濃守尚政が山城淀十万石の藩主として淀城に入ったのは大御所徳川秀忠の死の翌年、寛永十年(1633)のこと。尚政は十六歳で秀忠の小姓となって以来秀忠の側近として仕え、老中まで務めた。同じく老中井上正就・京都所司代板倉重宗と共に秀忠近侍三臣と称された。 ...

M県S市紅葉区杜王町に鎮座する六壁神社は、飛鳥時代の創祀を伝える古社。杜王町はS市のベッドタウンとして発展してきた。町の南を流れる一小川【いちおがわ】流域を中心に縄文時代の住居跡が多数みつかっており、早くから集落が形成されていたことがわかっている。 ...

千代神社の創祀は第八代孝元天皇の皇女倭迹迹姫命【やまとととひめのみこと】誕生の時と伝えられている。のち第十七代履中天皇御宇(400~405)に再建されたという。かつては多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)の末社であった。千代宮【ちよのみや】と称していたが、明治二年(1869)現社名に改めている。 ...

井伊家ゆかりの社寺めぐり(井伊家ゆかりのふく福めぐり)は、「十徳果報を授かる」という謳い文句で、彦根市内を中心とする十ヶ所の社寺史跡を巡る巡礼として平成二十一年(2009)に始まった。翌年には新たに三ヶ寺が加わって十三ヶ所となり、その後さらに湖東三山と称ばれる三ヶ寺も追加され、現在は十六ヶ所となっている。 ...

急な出立だった。明日の朝、この村を出て三重谷へと向かう手筈になっていたので、道中召し上がっていただこうと村人たちは夕刻から餅米を蒸し、小豆を炊いてぼた餅を作る準備をしていた。それが急遽夜のうちに出発することになり、仕方ないので蒸しあがったばかりの米に小豆を投入して軽く混ぜ、丸めて竹皮に包むことにした。日下部連使臣と吾田彦の父子が一人の女性とその子である二人の幼い兄弟を連れて村を訪れたのはつい半月程前のことだ。 ...